肱川はどこからどこまで?源流・合流点を図解でたどる

河川に設置された「19.6km」の距離標
河川に設置された「19.6km」の距離標(撮影: OZU LIFE MEMO)
メモう

肱川って、海まで直線だと18kmしかないんだ。

なのに103kmもかけて大回りするの。

名前の由来は、ひじみたいに曲がってるからだって。メモう!

3行でいうと調べた資料 11本

  • 肱川は法律上、源流から河口まで全区間がひとつの「肱川
  • 源流は西予市の鳥坂峠。海まで直線18kmの距離を103kmかけて大回りする
  • 「肘のように曲がる川」という屈曲が、名前の由来として最も広く紹介されている

「肱川」と一口に言っても、地図を見ると河辺川や小田川、矢落川など、別の名前の川がいくつも合流している。

じゃあ、どこからどこまでが本当の「肱川」なのか。気になって調べてみた。

先に結論から書くと、答えはシンプルだった。源流から河口まで、法律上は全区間がひとつの「肱川」だ。

黒瀬川・河辺川・小田川・矢落川といった支流は、それぞれ合流する地点まで自分の名前を持っていて、合流した瞬間から先は「肱川」の水になる

本川(肱川)の名前が、途中で他の川の名前に変わることはない。

源流は、海から離れる方向に流れ出す

肱川の源流は、西予市宇和町久保にある鳥坂峠(標高460m)。ここが全長103kmの旅の出発点になる。

面白いのはここからだ。源流のすぐそばには宇和海(太平洋側の海)が広がっているのに、肱川はそちらへは向かわず、宇和盆地をぐるっと迂回しながら、反対側の瀬戸内海(伊予灘)を目指して流れていく。

源流から河口までの直線距離はわずか18kmしかないのに、実際の川の長さは103km直線の6倍近くも遠回りしていることになる。

合流の順番(源流→河口)

国土交通省の資料をもとに、上流から下流に向かって主な合流点を並べてみた。

肱川(本川) 黒瀬川・船戸川 河辺川 小田川 矢落川
瀬戸内海(伊予灘) 鳥坂峠(標高460m) 西予市宇和町・肱川源流 宇和盆地を迂回 黒瀬川・船戸川 西予市野村町坂石(河口から約87km) 合流後、流れが北へ変わる 野村ダム (河口から約90km) 河辺川 (河口から約58~63km) 鹿野川ダム (大洲市肱川町) 小田川 内子町方面から(河口から約48km) 大洲盆地へ (大洲城・鵜飼い・臥龍山荘) 矢落川 大洲市街地で合流(河口から約19km) 河口(大洲市長浜) 「肱川あらし」が発生するのもこの一帯

国土交通省四国地方整備局の資料をもとに作成した模式図(概念図)。合流点の左右の向きや距離間隔は 分かりやすさのためのイメージで、実際の蛇行の形や東西南北とは一致しません。正確な形は下の地図でご確認ください。

実際の地図で見る

模式図だけだと実際の曲がり方が伝わりにくいので、Googleマップも貼っておく。

ズームやスクロールで、宇和盆地からの大きな迂回や、大洲盆地での蛇行ぶりを見てみてほしい。

なぜ「合流したら名前が変わらない」のか

日本の河川は、法律(河川法)上「一級水系」ごとに1つの水系名がついていて、そのうち一番の 本流を「本川」、そこに合流する川を「支川」と呼ぶ。

「肱川水系」の本川は、源流から河口まで一貫して「肱川」という名前。黒瀬川・河辺川・小田川・ 矢落川などは、すべて肱川水系の「支川」で、それぞれ合流する地点まで自分の名前を保つ。 合流した後は、水は一体になって「肱川」として流れていく、というルールになっている。

なお、源流に近い宇和盆地の一帯では、地元で「宇和川」と呼ばれることもあるようだが、 これは通称・呼び名の話で、法律上の正式名称としては、この区間もあくまで「肱川」に含まれる。

名前自体も、この「曲がりくねり」が由来

ここまで書いてきた「大きく遠回りして曲がりくねる」という特徴は、実は「肱川」という名前そのものの由来にもなっているらしい。

「肱」は腕の関節、つまり「ひじ」を指す漢字で、ひじを曲げたときのように川が屈曲していることから、この名がついたという説が広く紹介されている。

源流から河口までの直線距離18kmに対して、実際の川の長さが103kmもあるという蛇行ぶりを知ると、この由来にはかなり説得力があると感じる。

ほかに、湿地を意味する古い言葉「ひじ」に由来する説や、大洲城の築城にまつわる人柱伝説(「おひじ」という女性の名前に由来する)も伝わっているが、「肘のように曲がる川」という屈曲由来説が最も広く紹介されている。

調べてみて分かったのは、「肱川」という1本の川に見えて、実は474もの支川を束ねた、とても複雑な水系の集合体だということ。

源流からわずか18kmの場所にある海(宇和海)ではなく、あえて反対側の瀬戸内海を目指して103kmも遠回りする地形が、大洲盆地の水害の多さにも、冬から春にかけての「肱川あらし」という珍しい気象現象にもつながっている。

地形そのものが、大洲という街の成り立ちに関わっているんだと感じた。

その103キロで、いま何が起きているのか

源流から河口までをたどる記事だったので、 その川で人が何をしているかも書き足しておきたい。 市議会の会議録を読むと、肱川はほとんど毎回、議題に出てくる川だった。

いちばん大きな区切りが、令和8年の春に来ていた。 議員が定例会の冒頭で、直前に出席した式典を報告している。 肱川激特事業の竣工記念と、肱川治水碑の除幕式である。

平成30年7月の豪雨災害が国から激甚災害に指定され、 激特事業として5年間で肱川の堤防を完成させる取組が進められてきた。 その堤防が、完成した。

続いて「肱川流域治水、都谷川排水機場起工の式典」も行われた。 堤防が終わった日と、次の工事が始まった日が続いている。

堤防に残された、雁木とカニの道

その堤防に何が残されたかという話が、いちばん面白かった。

議員は式典で担当のスタッフから話を聞き、2つのことを知ったという。 柚木地区の堤防には、肱川の伝統的な雁木が残されている。 そして小長浜から加世地区の堤防には、カニの通り道として吸い出し防止材が使われている。

雁木は、川岸から水面へ降りる石段のことである。 舟に乗り降りしたり、水を汲んだりするために作られた、川と暮らしをつなぐ設備だ。 103キロを流れる川と、その岸に住んできた人の関係が、そこに形として残っている。

議員は「その小さな心遣いにもとても感動をいたしました」と述べていた。

上流では、ダムがもう1つできる

この記事でたどった支流のうち、河辺川には、いま工事中のものがある。

山鳥坂ダムである。令和8年3月の定例会で、議員が 「計画どおりに進捗すると、令和14年度に完成する」と述べていた。 場所は大洲市肱川町山鳥坂地区。

市長が以前「日本一透明度が高い澄んだ水をたたえる美しいダムになる」と語っていた、 という紹介もあった。

ダムができる水源地域は岩谷地区で、 市の説明では「生活環境が著しく変化し、地域コミュニティーの形成にも大きな影響が生じており、 住民の皆様には、大変御迷惑をおかけしている」状況だという。

そのため平成25年2月に市が地域振興計画を、 同年8月に国土交通省と愛媛県が水源地域整備計画を作っている。 令和6年度からは愛媛大学と国・県・市、地域の団体でつくる山鳥坂ダム水源地域ビジョン検討会が、 流域の将来像を令和14年度までに取りまとめる計画で協議を続けている。

103キロの上流側では、川の形そのものがこれから変わる。 この記事で並べた合流点の図は、 令和14年度以降には少し書き直しが要るかもしれない。

河口では、海のほうが埋められている

源流の反対側でも、地形が動いている。

肱川が伊予灘に注ぐ長浜で、 長浜港内港埋立事業が進んでいる。 愛媛県で公有水面埋立願書の予備審査が進んでおり、 埋立造成の完了は令和13年度、施設整備まで含めた完了は令和23年度の予定である。

使う土は、松山自動車道の4車線化から出る建設残土と、肱川の河道掘削による土砂だという。

川底を削った土が、河口の海を埋める。 103キロを運ばれてきた土砂が、最後にもう一度動かされて陸になる。 源流から河口までをたどったこの記事に、 その先の話としてはこれ以上ない終わり方だと思う。