大洲の視点 ・ 出典: インターネットアーカイブ(Wayback Machine)ほか(情報源日付: 2000-09-17) ・ 約6分で読める
大洲でいちばん古いホームページって、何やと思う?
記録に残ってるいちばん古いのは、河辺村のやつ。2000年9月やって。
大洲市より1年も早いんよ。しかも役場やなくて観光の協議会が作っとった。メモう!
3行でいうと調べた資料 10本
大洲でいちばん古いホームページは何だろう。
思いついたので、調べてみた。
使ったのはインターネットアーカイブ(Wayback Machine)という仕組みだ。世界中のウェブページを機械が定期的に見て回り、そのときの見た目ごと保存している。消えたページも、そこには残っていることがある。
大洲に関係しそうなアドレスをひとつずつ当てて、いちばん古い記録がいつのものかを調べた。
結果を先に書く。
| 場所 | 記録に残る最古の日付 |
| 旧河辺村 | 2000年9月17日 |
| 旧長浜町 | 2000年12月8日 |
| 旧大洲市 | 2001年9月9日 |
| 旧肱川町 | 2002年2月7日 |
今の大洲市は、2005年に大洲市・長浜町・肱川町・河辺村が合併してできた。その4つのうち、記録がいちばん古いのは河辺村だった。
大洲市より、1年近く早い。
そして河辺村は、4つのうちいちばん小さかった。合併から3年後の平成20年3月、議員が議会で挙げた支所管内の人口はこうだ。大洲市全体が5万700人、長浜が8,500人、肱川が2,900人、そして河辺が1,100人。
人口が市の45分の1しかない村が、いちばん先にインターネットに出ていた。
2000年9月17日に保存された河辺村のトップページは、こう始まっている。
龍馬の熱い思いを伝える、河辺村
日本の曙に向かって龍馬は河辺の山路を駆け抜けた。
坂本龍馬の脱藩の道が河辺を通っている、という話が一枚目の顔になっている。続けて、明治・大正・昭和・平成に架けられた屋根付き橋(浪漫八橋)、三杯谷の滝、龍王秋滝神社が並ぶ。
メニューは5つだけだった。坂本龍馬脱藩の道、浪漫八橋、イベント・観光、特産品、お問い合わせ先一覧。
そして、ページの末尾にこう書いてある。
このウェブサイトは、河辺村観光推進協議会が運営しています。
役場のサイトではなかった。観光の協議会が作った、観光のためのサイトである。行政の案内ではなく、来てもらうためのページとして始まっている。ここが、あとの3つとはっきり違う。
半年後、2001年春の版を見ると、こんな告知が載っていた。
「海援隊」河辺村公演決定
5月10日(木)、武田鉄矢さん率いるフォークバンド「海援隊」が、龍馬脱藩の道へやってくる。海援隊結成30周年記念コンサートツアー「海援隊トーク&ライブ」河辺村役場総務課にて予約受付中!
龍馬つながりで海援隊を呼んでいる。予約の受付は役場の総務課である。
同じ版には、「読者の皆様の投稿により完成させるリレー小説」というコーナーもあった。2001年に、人口1,000人ほどの村のサイトが、読者と一緒に小説を書こうとしていたことになる。
2000年12月8日に保存された長浜町のトップページには、開設日がそのまま書いてある。
● 長浜町オフィシャルサイト・オープン!!(2000.11.06)
2000年11月6日開設。アーカイブの記録より1か月前だ。
そしてこの1行が、当時の空気をよく伝えている。
下の黄色い " ふぐ " にマウスを合わせるとメニューが表示されます。
黄色いふぐにマウスを合わせるとメニューが出る。長浜はフグの町だから、フグをメニューにしたのだろう。今なら「押せる場所が分かりにくい」と言われそうな作りだが、当時はこういう仕掛けが楽しかった。
ページの下には「iモードでも情報発信中!!」とあった。iモードは、スマートフォンより前に携帯電話でインターネットを使う仕組みである。河辺村のサイトにも、同じくiモード版へのリンクがあった。
2000年の大洲では、村も町も、すでに携帯電話向けのページを持っていた。
旧大洲市の公式サイトが保存されたのは2001年9月9日。ページの中に、公開日が書いてある。
8月27日 大洲市公式ホームページを公開しました
2001年8月27日公開。保存されたのは、その13日後だった。生まれたてのページが、たまたま記録に残ったことになる。
タイトルは「"伊予の小京都"大洲市公式ホームページ」。見出しには「〓肱川に映える地域中核都市をめざして〓」とある。
その下の更新履歴に、こう書いてあった。
9月1日 テキストテキスト を追加
「テキストテキスト」。ひな形に入っていた見本の文字が、消されないまま公開されていたのだと思う。25年前の担当者の仕事ぶりが、そのまま残っている。責める気にはならない。作った人がいて、間に合わせで出した日があったということだ。
トップに並んでいた見出しも、いま読むと面白い。
大洲城の天守閣は、このとき「御用木お披露目式」の段階だった。木造で復元されて完成するのは2004年である。2001年のトップページは、その3年前の風景を映している。
「まちの駅」が「来春オープン!」なのも、いまとなっては時代が分かる。
メニューには「市長へのメール」「申請書の宅配」が並んでいた。市役所に来なくても申請書が届く、というのが売りになる時代だった。
比べる相手がないと早いのか遅いのか分からないので、愛媛県内の市も同じやり方で調べた。
| 順 | 市 | 記録に残る最古の日付 |
|---|---|---|
| 1 | 松山市 | 1998年1月12日 |
| 2 | 西条市 | 1998年1月12日 |
| 3 | 宇和島市 | 2000年5月20日 |
| 4 | 新居浜市 | 2001年2月23日 |
| 5 | 大洲市 | 2001年9月9日 |
| 6 | 八幡浜市 | 2002年5月26日 |
| 7 | 今治市 | 2002年7月26日 |
| 8 | 四国中央市 | 2004年4月2日 |
| 9 | 西予市 | 2004年4月5日 |
| 10 | 東温市 | 2004年9月23日 |
8位から下の3つは平成の大合併でできた新しい市なので、そもそも2004年より前は存在しない。実質的に比べられる7市の中で、大洲は5番目だった。真ん中より少し後ろ、というところである。
ちなみに愛媛県庁は1998年1月15日、愛媛新聞は1996年12月21日、南海放送は1996年12月27日、伊予銀行は1997年4月16日の記録が残っていた。愛媛のインターネットが記録に残り始めるのは、1996年の暮れあたりからということになる。
最後に、この記事の限界を書いておく。
ここで分かったのは「インターネットアーカイブに記録が残っているいちばん古い日付」であって、「いちばん古いホームページ」ではない。
アーカイブは世界中を機械が回って保存しているだけなので、見に行かれなかったページは残らない。個人が作ったページ、会社の小さなページ、プロバイダの無料スペースに置かれたページは、記録に残っていないほうが多い。
実際、大洲市観光協会や商工会議所のアドレスをいくつか当ててみたが、古い記録は出てこなかった。大洲城や鹿野川荘のアドレスも同じだった。無かったのではなく、記録が無いだけである可能性が高い。
だからこの記事は、「アドレスを当てて、そのうち記録が残っていたものを並べた」という以上のことは言えない。もし「うちのほうが早かった」という心当たりがある人がいたら、たぶんその人が正しい。
それでも、確かめられたことが1つある。
人口1,100人の村が、市より1年早くインターネットに出ていた。しかもそれを作ったのは役場ではなく、観光の協議会だった。龍馬の道と屋根付き橋を並べて、読者と一緒に小説を書こうとしていた。
規模の小さいところほど動きが遅い、という思い込みは、少なくともこの1件については当たっていなかった。
この記事をサイトに掲載した日: 2026/09/05