大洲の自由研究 #09
大洲市のホームページに、閉校した小学校の一覧が載っている。17校ある。 学校名をひとつずつ声に出して読んでいくと、けっこう時間がかかる。 出海、喜多灘、柳沢、田処、柴、豊茂、櫛生、蔵川、南久米、戒川、正山、大谷、予子林、大成、上須戒、大和、白滝。 「学校が減った」という言葉は、たいてい数字のかたちでしか出てこない。 だが減ったのは数字ではなく、この17の固有名詞だ。 そして中学校を足すと、消えた学校は18校になる。全部を地図に置いてみた。
大洲の小学校は29校から12校になったんよ。中学校を足すと、消えたんは18校。
地図に置いてみたら、半分が旧長浜町に集まっとった。
減ったんは数字やのうて、18の名前やと思う。
市の「施設ガイド」の閉校一覧に載っているのは、小学校の17校である[1]。
中学校のページには、閉校した学校が載っていない。現在の8校が並んでいるだけだ[2]。
だが市議会の会議録を調べると、河辺中学校が令和6年(2024年)3月末で閉校していた[24]。 令和2年4月から休校が続き、令和5年2月に肱川中学校との統合が決まっている。
河辺中学校は昭和49年(1974年)に、旧河辺中学校と旧北平中学校が統合してできた学校だった。 50年で974人の卒業生を送り出している。
小学校17校に、この1校を足して18校。これが数えた結果である。
| # | 学校名 | 旧市町村 | 閉校年月日 | 統合先 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 柳沢小学校 | 大洲 | 平成23年3月31日(2011) | 新谷小学校 |
| 2 | 田処小学校 | 大洲 | 平成23年3月31日(2011) | 新谷小学校 |
| 3 | 出海小学校 | 長浜 | 平成23年3月31日(2011) | 長浜小学校 |
| 4 | 喜多灘小学校 | 長浜 | 平成23年3月31日(2011) | 長浜小学校 |
| 5 | 蔵川小学校 | 大洲 | 平成24年3月31日(2012) | 菅田小学校 |
| 6 | 柴小学校 | 長浜 | 平成24年3月31日(2012) | 長浜小学校 |
| 7 | 豊茂小学校 | 長浜 | 平成24年3月31日(2012) | 長浜小学校 |
| 8 | 櫛生小学校 | 長浜 | 平成24年3月31日(2012) | 長浜小学校 |
| 9 | 南久米小学校 | 大洲 | 平成25年3月31日(2013) | 大洲小学校 |
| 10 | 戒川小学校 | 長浜 | 平成25年3月31日(2013) | 休校のまま廃校 |
| 11 | 大成小学校 | 大洲 | 平成26年3月31日(2014) | 菅田小学校 |
| 12 | 正山小学校 | 肱川 | 平成26年3月31日(2014) | 中野小学校(統合後に肱川小学校へ改称) |
| 13 | 大谷小学校 | 肱川 | 平成26年3月31日(2014) | 同上 |
| 14 | 予子林小学校 | 肱川 | 平成26年3月31日(2014) | 同上 |
| 15 | 上須戒小学校 | 大洲 | 平成27年3月31日(2015) | 喜多小学校 |
| 16 | 大和小学校 | 長浜 | 平成28年3月31日(2016) | 長浜小学校 |
| 17 | 白滝小学校 | 長浜 | 平成30年3月31日(2018) | 長浜小学校 |
| 18 | 河辺中学校 | 河辺 | 令和6年3月31日(2024) | 肱川中学校 |
表1: 閉校した18校。閉校日は市の公表一覧、統合先は市議会会議録から1校ずつ拾った
旧市町村で数えると、長浜が8校、大洲が6校、肱川が3校、河辺が1校である。
旧長浜町だけで、消えた学校のほぼ半分を占めている。
数え方の断りを先に書いておく。
閉校の事実と日付は、市の「施設ガイド」と、市教育委員会の「小学校統廃合計画に基づき、閉校となりました学校施設を紹介します」のページから取った[1][3]。 この2つは同じ17校で一致している。統合先は市議会の会議録から1校ずつ拾った。
柳沢は会議録に「旧大洲市の柳沢出身者の会」という記述があり大洲と確定できたが、 田処と上須戒の旧市町村は、一次資料での確認まではできていない。 統合先と地理から大洲と判断した。ここは推定である。
18校を、いまある12校の小学校と一緒に地図へ置いたのが図1だ。
図1: 閉校した18校(赤)と、いまある小学校12校(青)。境界は国土数値情報の行政区域データ(2000年・2023年)、学校の位置は国土数値情報「学校データ」(平成25年度)と、それ以前に閉校した10校は市の「閉校となった学校施設 位置図」から読み取った[4]
赤い○は、海沿いと山あいに散らばっている。
旧長浜町の海岸線に沿って、出海・櫛生・豊茂・柴・喜多灘。内陸に入って大和・白滝・戒川。 これで8校になる。
いっぽう、青い●のいまの12校は、肱川沿いの盆地と谷筋に並んでいる。 閉校が「どこで」起きたのかは、表よりも地図のほうがはっきり見える。
地図には、閉校リストに載らない変化もひとつ描いてある。 肱川小学校の位置は、かつての中野小学校である。 3校を受け入れて校名が変わった。この話は後半で書く。
年度末ごとに数えると、こうなる。
| 年度末 | 閉校した学校 | 校数 | 市内の小学校数 |
|---|---|---|---|
| 2010年度末 | 柳沢・田処・出海・喜多灘 | 4 | 29 → 25 |
| 2011年度末 | 柴・豊茂・櫛生・蔵川 | 4 | 25 → 21 |
| 2012年度末 | 南久米・戒川 | 2 | 21 → 19 |
| 2013年度末 | 大成・正山・大谷・予子林 | 4 | 19 → 15 |
| 2014年度末 | 上須戒 | 1 | 15 → 14 |
| 2015年度末 | 大和 | 1 | 14 → 13 |
| 2017年度末 | 白滝 | 1 | 13 → 12 |
| 2023年度末 | 河辺中学校 | 1 | 中学校 9 → 8 |
表2: 年度末ごとの閉校。校数は市が議会に説明した数をそのまま並べた[11][12][14]
図2: 小学校数の折れ線と、年度末ごとの閉校数の棒。2011・2012・2014年の3月末に4校ずつという3つの山がある
この校数は、市が議会に説明した数をそのまま使っている。 市の説明では、休校中だった戒川小学校も廃校になるまで校数に含めている。 平成23年6月定例会で「休校中の戒川小学校を含め22校」[11]、 同年9月定例会で蔵川小学校の廃止により「21校」と説明されており[12]、 平成28年3月定例会では「計画策定前に29校あった小学校は……来年度には半分以下の13校となり」と述べられている[14]。
平成17年(2005年)の合併の前後で、傾向ははっきり変わっている。
合併から2010年度末までの6年間、閉校は1校もない。 そして2011年からの8年間で、17校がまとめて消えた。
合併そのものが学校を減らしたのではない。 合併の3年後にできた1本の計画が、8年かけて実行されたのである。
合併直後の大洲市には、小学校28校・中学校9校の計37校があった[6]。 休校中だった戒川小学校を足すと、小学校は29校になる。
平成20年(2008年)7月、市教育委員会は「大洲市小学校統廃合計画」を発表する[8]。 検討委員会の報告書をもとにしたもので、中身はこうだった[16]。
最大の理由は複式学級だった。 計画策定の時点で、休校中の戒川小学校を除く28校のうち15校が複式学級を持っていた[8]。 過半数である。市は「10年先においても複式学級の編制が生じない児童数」を下限に据えた。
ここは押さえておく価値がある。
複式学級は、2つ以上の学年の児童を1つの学級にまとめたものだ。 その基準を決めているのは市ではなく、国の法律である。 「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」、通称義務標準法だ[30]。
つまり1学年あたり8人前後を割り込むと、制度上ほぼ自動的に複式学級になる。 そして複式学級になれば、学級数が減るぶん教員定数も減る。
河辺中学校の例では、複式学級が発生する見込みによって 教職員が10人から5人へ、養護教諭を含めて5人減ると市が説明している[20]。 市はこれを「学校経営上非常に困難な状況」と表現した。
学校を残すか閉じるかの判断は、地元の気持ちの問題として語られやすい。 だが実際にその判断を押しているのは、東京で決められた8人と16人という数字である。
計画には教育以外の動機もあった。市はそれを隠していない。
平成20年6月定例会で、市はこう答えている[7]。 統廃合の目的は「一つには子供たちの教育環境整備の問題などの教育的見地からであり、 いま一つには、学校耐震化の問題などの財政的見地から」であり、 「この2つの要素が重なって計画案ができたもの」だと。
市は平成23年度に「大洲市立学校施設整備計画」を策定し、 耐震対策の概算事業費を約71億円と見込んでいる[20]。 実施期間は8年間、3期に分けるという規模だった。 市内の幼稚園・小中学校の耐震化率は、平成27年度末の時点で68.1%である。
29校を耐震化するのと、11校を耐震化するのとでは、金額が違う。 統廃合と耐震化は、最初から同じ計画の裏表だった。
18校を閉じる計画は、そのまま実現したわけではない。
平成20年7月29日の上須戒を皮切りに、対象17校区で説明会が開かれた[8]。 会議録に残る住民の声は、こうだ[8][9]。
なぜ統合しなくてはいけないのか、なぜ複式学級が悪いのか、学校を残してほしい、過疎化に拍車がかかる。 小学校がなくなると地域が寂れる、若者が住まなくなる。 小規模校がなぜ悪いのか、小規模校では学力が劣るのか、複式学級は悪いのか。
そして平成26年3月定例会で、こう総括されている[19]。
計画で廃校を見込んだ18校のうち合意は15校となり、白滝小学校、三善小学校、大和小学校の3校は統合を見送っておられます。
計画そのものについては、平成29年12月定例会で議員が 「この統廃合計画は、平成26年度で一応白紙になったと聞いている」と述べている[32]。
その後、見送られた3校のうち大和小学校は平成28年に、白滝小学校は平成30年に、 計画の枠外であらためて閉校している。 結果として計画が見込んだ18校のうち17校が閉じ、三善小学校だけが残った。 いまの小学校が計画上の11校ではなく12校なのは、この1校の差である。
大和小学校の閉校は、計画期間の終了後だったため 統廃合地域振興補助金の対象にならなかった。 そのため市は、記念碑・記念誌の作成費と地元主催のお別れ会の経費として、 別に250万円を計上している[21]。制度の外側で閉じた学校だった。
閉校の日付は市が一覧で公表している。だがその手前にある統合合意書の調印日は、 まとまった一覧がなく、市議会の会議録に1件ずつ散らばっている。拾えたぶんを並べる。
| 調印日 | 統合した学校 | 統合先 | 閉校 |
|---|---|---|---|
| 平成22年3月22日 | 出海・喜多灘 | 長浜小学校 | 平成23年3月31日 |
| 平成22年4月24日 | 柳沢・田処 | 新谷小学校 | 平成23年3月31日 |
| 平成23年4月21日 | 柴・豊茂・櫛生 | 長浜小学校 | 平成24年3月31日 |
| 平成23年6月 | 南久米 | 大洲小学校 | 平成25年3月31日 |
| 平成23年8月20日 | 蔵川 | 菅田小学校 | 平成24年3月31日 |
| 平成25年2月11日 | 正山・大谷・予子林 | 中野小学校(統合後に肱川小学校へ改称) | 平成26年3月31日 |
| 平成27年4月26日 | 大和 | 長浜小学校 | 平成28年3月31日 |
| 令和5年4月 | 河辺中学校 | 肱川中学校 | 令和6年3月31日 |
表3: 統合合意書の調印日。会議録から拾えたもの[10][11][12][13][18][24]
図3: 調印から閉校までの期間。短いもので7か月、長いもので約1年9か月
調印から閉校までは、短いもので7か月、長いもので1年9か月あった。 蔵川小学校は平成23年8月に調印して翌年3月に閉校している。 南久米小学校は平成23年6月の調印から、閉校まで1年9か月かかった。
拾えなかったものもある。大成・上須戒・白滝の3校の調印日は、会議録からは特定できなかった。 戒川小学校は休校のまま廃校になったので、そもそも統合合意書がない。
統合は「小さい学校が大きい学校に吸収される」だけの手続きではなかった。 しばしば争点になったのは、校名である。
蔵川小学校が菅田小学校と統合するとき、蔵川側の検討委員会は 「今回の統合に伴う校名は菅田小学校とし、大成小学校との統廃合に際して校名等を協議する際に、 蔵川地区の代表を参加させること」を要望として出した[15]。 次の統合で校名が変わるなら、その議論には加わりたい、という意味だ。
その次の統合、つまり大成小学校との統合では、実際に菅田小学校の校名変更が条件として求められた。 これに対し、菅田地区の卒業生の70%以上が反対していると議員が指摘している[15]。
菅田小学校は平成24年4月に蔵川・大成の2校と同時に統合する計画だった。 だが理解が得られたのは蔵川小学校だけで、大成小学校の統合は2年遅れた[15]。 統合合意まで、計画発表から6年かかっている。
肱川地域では別の形が取られた。 正山・大谷・予子林の3校を廃校とし、中野小学校に統合したうえで校名を「肱川小学校」に変更する。 平成25年2月11日の調印である[18]。
だから「中野小学校」は閉校リストに載っていない。 名前は消えたが、閉校ではない学校が1校ある。 この記事の18校には含めていないが、地図の上では中野小学校の名も消えている。
ここが一番知りたいところだと思う。18校の建物はどうなったのか。 会議録から追えた範囲を並べる[18][23][25][26]。
| 旧校名 | 校舎・敷地のその後 |
|---|---|
| 旧柳沢小学校 | 校舎を地元が公民館として利用。平成25年には婚活イベントの会場にもなった |
| 旧田処小学校 | 校舎を地元が公民館として利用。木造校舎とプールは平成30年度に解体 |
| 旧櫛生小学校 | 地元がレストランとしての活用を希望し、準備が進められた(平成25年時点) |
| 旧柴小学校 | グラウンドに民間の小規模特別養護老人ホーム(29床)が整備された。プールは解体 |
| 旧南久米小学校 | 校舎の一部を売却(事業者が2棟を解体し1棟を改修)。体育館は中学校の部活動に利用。プールは解体 |
| 旧大成小学校 | 校舎を解体。グラウンドは平成30年7月豪雨の復興事業で、堤防高までかさ上げして防災広場に |
| 旧蔵川小学校 | 校舎を解体 |
| 旧上須戒小学校 | 校舎を解体し、跡地に上須戒コミュニティセンターを移転新築。大洲市の公共施設で初のCLT工法 |
| 旧豊茂小学校 | プールなどを解体 |
| 旧大和小学校 | 校舎・体育館・プールを解体し、跡地に大和公民館を移転改築 |
| 旧正山小学校 | 肱川中学校の仮校舎として使用(平成31年1月〜令和4年)。肱川幼稚園の仮設園舎も置かれた |
| 旧喜多灘小学校 | 喜多灘ふれあい広場 |
| 旧戒川小学校 | 戒川ふれあい広場 |
| 旧予子林小学校 | 放課後子ども教室(詩吟の体験学習)の会場。教員住宅は令和5・6年度に解体 |
| 旧大谷小学校 | 教員住宅を令和5・6年度に解体。校舎の用途は確認できず |
| 旧出海小学校 | 確認できず |
| 旧白滝小学校 | 確認できず(所在地は大洲市白滝甲557番地の2)[5] |
| 旧河辺中学校 | 確認できず(令和2年4月から休校のまま令和6年3月末で閉校) |
表4: 閉校後の校舎の使われ方。会議録で確認できた範囲
閉校のあと、市は各校区の統廃合準備委員会に「地域づくり部会」を作ってもらい、 跡地の活用を地元に検討してもらう形をとった。 閉校までに使い道が決まらない場合は、閉校後も部会を続けてもらっている。
市は閉校施設の情報を市ホームページに載せ、 文部科学省の「みんなの廃校」プロジェクトとリンクさせて全国に活用アイデアを募集した[29]。 ただし平成24年12月時点の答弁では「実現には至っておりません」とされている[17]。
閉じた学校は、閉じたあとにも金がかかる。それがはっきり出たのが解体工事だった。
平成29年度から解体に入った旧大成小学校と旧蔵川小学校で、 校舎の柱に埋設された煙突にアスベストを含む建材が使われていることが判明した。 除去に特別な工法が必要になり、約7,220万円の補正予算が追加で組まれている[23]。
最終的にアスベスト対策の工事費は、旧大成小が約7,960万円、旧蔵川小が約3,030万円。 合わせて約1億1,000万円にのぼった。 これは両校の解体工事費の61.6%を占める[23]。
解体費の6割が、建物を壊す作業そのものではなく、 昔の建材を安全に取り除くために消えた計算になる。
大洲市だけの話ではない。
文部科学省の「令和6年度廃校施設等活用状況実態調査」(令和6年5月1日現在)によると、 平成16年度から令和5年度までの20年間に発生した公立学校の廃校は、全国で8,850校。 毎年およそ450校のペースである[28]。
図4: 全国の廃校8,850校の内訳。文部科学省の調査から作成[28]
文科省はこれを「廃校施設のうち約8割は既に活用」と説明している。 ただしこの8割は、建物が残っている7,612校を分母にした割合である。 最初の8,850校を分母にすると、活用中は約64%になる。
1,238校は、活用されなかったのではなく、建物ごと無くなっている。 大洲市の旧大成小・旧蔵川小・旧大和小・旧上須戒小は、この1,238校の側に入る。
未活用の理由として自治体が挙げたのは、 「地域等からの要望がない」903件(41.5%)、「建物が老朽化している」902件(41.4%)、 「立地条件が悪い」387件(17.8%)、「財源が確保できない」327件(15.0%)だった(複数回答)[28]。
上位2つがほぼ同数で並んでいるのが目を引く。 使いたい人がいないという問題と、建物が古くて使えないという問題は、別のものだ。 そして後者は、閉校から時間が経つほど重くなる。
戒川小学校について平成20年12月に議員が述べた 「人の利用がない建物は老朽化が一段と速まります」という指摘は、全国の統計と符合している[9]。
統廃合は通学の形も変えた。
平成23年度の時点で、市が持つスクールバスは 大洲地域6台、長浜地域3台、河辺地域2台の計11台になっている[11]。 柳沢・田処・出海・喜多灘の4校が閉校したことに伴い、大洲・長浜で1台ずつ買い足した結果だ。
白滝小学校の閉校(平成30年)でも、白滝地区の児童・生徒を長浜小・中学校へ運ぶバス2台が購入された[23]。 財源は国庫補助金の「へき地児童生徒援助費等補助金」である。
このスクールバスは、文部科学省の承認を得て一般住民も乗れるようにしている。 路線バスが廃止された豊茂地区などでは、通学のバスがそのまま生活の足を兼ねている。 柳沢・田処地区では、朝の登校に1便、昼と夕方の下校に3便が走る[11]。
出海小学校の児童だけはスクールバスではなく路線バスの利用になり、 統合の前に路線バスへの体験乗車から準備を始めたという記録が残っている[10]。
学校が1つ閉じるたびに、道路の上を走るものが増えた。
正直に書いておく。今回の調べ方では、ここまでが限界だった。
開校年は、18校中3校しか確認できなかった。 白滝小学校は明治6年(1873年)に西瀧寺を校舎として創立され、閉校時点で145年[22]。 大和小学校は明治8年(1875年)に下須戒村に設立された開盛小学校が前身で、140年[21]。 どちらも閉校の年の3月定例会で、市長が式辞のように読み上げた記録が残っている。 河辺中学校は昭和49年の発足[24]。 南久米小学校は閉校時に「130有余年の歴史」と議員が述べているが、開校年そのものは出てこない。 残る14校は、市のホームページにも会議録にも開校年が見当たらなかった。 推測で埋めることはしない。
閉校時の児童数も、学校ごとの数字は取れなかった。 市のオープンデータ「小中学校児童生徒数・学級数」は平成30年度以降しか公開されていない[27]。 閉校が集中した2011〜2016年は、その範囲の外にある。 例外は河辺の2校で、平成27年3月定例会に数字が残っている[20]。 河辺小学校は平成27年2月1日現在で児童20人、翌年度は19人で複式3学級の見込み。 河辺中学校は生徒18人・3学級、翌年度は14人で、1年生と2年生の合計が8人になる見込みだった。
ほかに、大成・上須戒・白滝の3校の統合合意書の調印日、 田処・上須戒の旧市町村の一次資料での確認、 出海・白滝・河辺中の校舎のいまの使われ方も、確認できないまま残った。
3つある。
ひとつは、計画が「白紙」になったあとも閉校が続いたことだ。 大和小学校も白滝小学校も、白紙とされた平成26年度より後に閉じている。 計画は住民の合意を得られずに止まったが、児童数の減少は止まらなかった。 計画がなくなっても結論は同じところに来た、ということになる。 ただし三善小学校だけは残った。だから「時間の問題だった」と言い切ることもできない。
ふたつめは、中野小学校の消え方である。 3校を統合して受け入れた側なのに、校名は肱川小学校に変わった。 閉校した学校のリストには載らない。統計上は1校も減っていない。 だが中野という地名を持つ学校は、もう地図にない。 数え方によって、消えた学校の数は17にも18にも、19にもなる。
みっつめは、解体費の6割がアスベスト対策だったことだ。 学校を閉じる話は、ふつう子どもの数と地域の気持ちの話として語られる。 その先にあるのは、昭和に建てた建物をどう安全に壊すかという、まったく別の技術と費用の問題だった。 建てるときの判断が、40年後の解体費の6割を決めていた。
数え終えて残ったのは、「仕方がなかった」でも「間違っていた」でもない。 8人と16人という国の基準、71億円の耐震化費用、そして17回の閉校記念式典が、 同じ1本の線の上に並んでいるという事実だけである。
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