大洲の自由研究 #20
大洲を車で走っていて、ふと思うことがある。この道は、昔からここにあったのだろうか。 国道56号のバイパスができる前、松山から宇和島へ抜ける車は、どこを走っていたのか。 調べてみると、答えは少し意外だった。国道56号は、昔も今も大洲城のすぐ下を通っている。 引っ越したのは、道のほうではなく交通量のほうだった。
バイパスができる前、松山から宇和島へ抜ける車はどこを走りよったんやろか。
調べたら、引っ越したんは道やのうて交通量のほうやった。
バイパスは26年かけて5回に分けて開いて、柚木で車は4対1に分かれとる。
まず、名前の話から。国道56号がこの番号になったのは、そんなに古い話ではない。
いまの番号を決めているのは「一般国道の路線を指定する政令」(昭和40年政令第58号)である[4]。 1965年3月29日に公布され、同年4月1日に施行された。e-Gov法令検索で条文と別表がそのまま読める。 国道の路線をこうして政令で指定するという仕組み自体は、道路法第5条第1項が定めている[5]。
別表を開くと、56号の行にはこう書いてある。起点は高知市、終点は松山市。 そして「重要な経過地」の欄に、土佐市・須崎市・中村市・宿毛市・宇和島市などと並んで、大洲市の名がはっきり載っている。
つまり、国道56号が大洲を通ることは、政令が指定している。 細かい線形は道路管理者が決めるが、大洲市を経由するという骨格は法令が押さえている。
それ以前はどうだったか。 この政令は、施行と同時に2つの政令を廃止している。一級国道の路線を指定する政令(昭和27年政令第477号)と、 二級国道の路線を指定する政令(昭和28年政令第96号)である[4]。 1965年までは、国道が一級と二級に分かれていた[8]。
大洲を通るこの道は、1953年5月18日に二級国道197号 松山高知線として指定された。 1963年4月1日に一級国道56号へ昇格し、1965年4月1日に一級・二級の区分がなくなって、いまの一般国道56号になった。 番号が2回変わっている。
さらにさかのぼると、この道は江戸時代の大洲街道・宇和島街道と一部が重なる。 愛媛県が公開している「えひめの記憶」(愛媛県史のデータベース)に、そう書かれている[9]。 同じ資料によれば、国道56号の第1次改修が終わったのは1970年(昭和45年)で、 それまで危険な峠道だった箇所がトンネルで結ばれた。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1873(明治6) | 太政官達により里程元標が置かれる |
| 1919(大正8) | 旧道路法。同年の道路法施行令で市町村に道路元標1個を規定 |
| 1922(大正11) | 内務省令で道路元標の形状を規格化(縦横25cm・高さ約63cm) |
| 1952(昭和27) | 新道路法。道路元標は「道路の附属物」の扱いになる |
| 1953(昭和28)5月18日 | 二級国道197号 松山高知線として指定 |
| 1963(昭和38)4月1日 | 一級国道56号に昇格 |
| 1965(昭和40)4月1日 | 一級・二級を廃止。一般国道56号(昭和40年政令第58号) |
| 1970(昭和45) | 国道56号 第1次改修が完了 |
道の起点を示す石の柱を、道路元標という。
制度としてはこうだ。1919年(大正8年)の旧道路法を受けて、同じ年の道路法施行令が第7条から第9条で道路元標を定めた。 各市町村に1個ずつ置くこと、位置は府県知事が指定すること。 1922年(大正11年)の内務省令では、縦横25センチメートル、高さ約63センチメートルという寸法まで決められた[12]。
大正時代の日本には1万を超える市町村があった。理屈のうえでは、その数だけ道路元標が立っていたことになる。 旧大洲町にも、旧長浜町にも、旧肱川村にも、それぞれ1本あったはずだ。
では、いま残っているのか。 結論から書くと、大洲市内に道路元標が現存するという記録を、私は見つけられなかった。
探した範囲を正直に書いておく。「大洲町道路元標」「長浜町道路元標」「喜多郡 道路元標」など複数の語で検索を重ねた。 全国の道路元標を集めた個人サイトも当たったが、掲載されていたのは長野県分だけだった。 OpenStreetMapに登録された名称データを愛媛県の範囲で機械的に検索しても、該当は0件だった。 大洲市の公式サイトは市外からのアクセスに制限がかかっていて、文化財一覧のページを開けなかった。
だから「無い」とは言えない。「あるという記録に、この調べ方では届かなかった」が正確なところだ。 市の文化財担当や郷土資料にあたれば、話は変わるかもしれない。
他ではどうか。道路元標は、2014年時点で全国に2,000箇所未満しか残っていないとされる[12]。 1万数千あったものが、その程度になっている。理由ははっきりしている。 1952年の新道路法で、道路元標は法的な根拠を失った。 いまの道路法には設置場所や起終点の規定がなく、道路元標は単なる「道路の附属物」として残っているにすぎない。
それでも保存している自治体はある。仙台市、福島市、新潟市、名古屋市、京都市、岡山市などが、道路元標を残している例として挙げられる。 千葉市はウェブサイトに専用のページを設けて、市内の道路元標の位置と由来を公開している[13]。
道路元標は、その市町村の「ここが町の中心である」と行政が決めた点そのものだ。 役場の前だったり、主要な辻だったりする。もし大洲のものが残っていれば、 大正時代の大洲が自分の中心をどこだと考えていたかが、石になって残っていることになる。見つからなかったのが惜しい。
ここからが本題である。
大洲市内の国道56号バイパスは、大洲道路という。大洲市北只から東大洲まで、 計画延長6.3キロメートルの自動車専用道路だ[1][6]。
図1: 国道56号の現道(実線)と大洲道路(太線)。どちらも同じ「国道56号」である
国土交通省四国地方整備局が2009年に公表した「一般国道56号 大洲道路 事後評価」に、事業の目的が書いてある。 要約ではなく原文を引く[1]。
大洲市内の国道56号は、幅員が狭いうえに人家連担部を通っていることにより自転車・歩行者等の出入り交通量は多く、市街地中心部の肱川橋に道路網が一点集中しているために、交通渋滞が日常化し、地域の生活や産業に深刻な影響を及ぼしていた。
もうひとつ、大洲らしい理由が続く。
大洲市街は多くの川が集まる盆地であり、下流は山が両岸から迫る地形のため、過去たびたび洪水が発生し、国道56号も冠水による通行規制で、地域の幹線道路網が分断されてきた。
渋滞と冠水。この2つが、バイパスを作る理由だった。 事後評価には冠水による通行規制の記録も載っている。1995年7月4〜5日の梅雨前線豪雨、1998年10月18日の台風10号、 2004年8月31日の台風16号、2005年9月7日の台風14号。 事後評価が挙げているだけで、10年のあいだに4回、幹線が止まっている。
年表にすると、こうなる。
| 年月日 | できごと |
|---|---|
| 1979年 | 一般道路として計画されていたものを、自動車専用道路に変更 |
| 1980年4月4日 | 都市計画決定(事業化も昭和55年度) |
| 1981年度 | 用地買収に着手 |
| 1986年度 | 工事着手 |
| 1991年3月19日 | 大洲南IC〜大洲冨士IC が暫定2車線で開通 |
| 1993年3月25日 | 大洲冨士IC〜大洲北IC が暫定2車線で開通 |
| 2002年3月29日 | 大洲北IC〜大洲IC が暫定2車線で開通。四国縦貫自動車道とつながる |
| 2004年4月17日 | 大洲北只IC〜大洲南IC が開通し、全線開通。四国横断自動車道とつながる |
| 2006年3月27日 | 大洲南IC〜大洲北IC の4車線化が完了 |
| 2020年6月30日 | 案内標識上の名称が「松山自動車道」に変更される |
図2: 大洲道路が開いた5回。都市計画決定から4車線完成まで26年
都市計画決定から4車線完成まで26年。用地買収に着手した1981年から数えると25年。 工事着手から数えても20年かかっている。
途中の1979年に「一般道路から自動車専用道路へ」と計画が変わっているのが効いている。 ここで大洲道路は、単なる市街地迂回路ではなく、四国の高速ネットワークをつなぐ道になった。 事後評価では、大洲道路は高速自動車国道に並行してその機能を代替する「A'路線」として位置づけられている[1]。 そして2020年、案内標識の上ではとうとう「松山自動車道」を名乗ることになった[14]。 国道56号のバイパスとして始まった道が、40年かけて高速道路の顔になったということだ。
なお、開通年月日は資料によって書き方が少しずれる。 事後評価は年度で「平成2年度・平成4年度・平成13年度・平成16年度・平成17年度」と記し、日付までは書いていない[1]。 平成8年時点の資料では、昭和61年度着工、平成3年3月・平成5年3月の暫定供用という書き方も残っている[7]。 上の表の日付はWikipediaの記述によるが、年度に直すと事後評価と完全に一致した[14]。 2つの資料が別々の書き方で同じことを言っているので、年表としては信用してよいと判断した。
事後評価には、整備の前後を比べた数字が並んでいる[1]。使えるものを拾う。
まず、市街地の渋滞。事後評価が挙げているのは片原町交差点の最大渋滞長だ。 松山方面から宇和島方面へ向かう車列の長さである。
図3: 片原町交差点の最大渋滞長。1.35kmの車列が20年で消えた[1]
次に、現道の速度。渋滞している時間帯に、実際に何キロで走れたかの推移である。 国道56号の同じ区間(平成17年センサス区間11059)を、道路交通センサスが追いかけている。
図4: 現道(国道56号)の混雑時旅行速度。1980年代は時速18〜20km、いまは30km前後[1]
| 年 | 混雑時旅行速度 |
|---|---|
| 1980(昭和55) | 19.8 km/h |
| 1983(昭和58) | 18.3 km/h |
| 1985(昭和60) | 18.6 km/h |
| 1988(昭和63) | 20.8 km/h |
| 1990(平成2) | 28.7 km/h |
| 1994(平成6) | 25.2 km/h |
| 1997(平成9) | 21.1 km/h |
| 1999(平成11) | 26.2 km/h |
| 2005(平成17) | 31.2 km/h |
| 2009(平成21) | 29.2 km/h |
1980年代前半の大洲の国道56号は、混む時間帯には時速18〜20キロでしか走れなかった。自転車と大差ない。 バイパスが最初に開いた1991年をはさんで数字が上がり、4車線が完成した2006年の前後で30キロ前後に落ち着いている。
3つめ、大型車。東大洲の断面で測った12時間交通量が、事後評価に載っている。
| 1990(平成2、整備前) | 2009(平成21、整備後) | |
|---|---|---|
| 全車種 | 16,441台/12h | 11,941台/12h(27%減) |
| うち大型車 | 2,383台/12h | 515台/12h(78%減) |
表4: 東大洲の断面交通量(12時間)[1]
全体は27%減。大型車だけが78%も減っている。トラックが優先的にバイパスへ移ったということだ。 市街地の道は、走る車の数以上に「走る車の中身」が変わっている。
事故の数も減っている。現道の死傷事故は1990年代後半から2000年代前半にかけて年60〜70件で推移していた。 それが4車線完成をはさんだ2005年と2006年の比較では、歩行者がかかわる事故が5件から1件へ、車両どうしの事故が63件から43件へ減っている[1]。 事後評価には、通学路として現道を使う小学校の声も収録されている。 「以前は、横断歩道を児童の列が渡っていると、曲がれない右折車から怒られる事があり、青でも途中で児童の横断を止めていたが、今はなくなった」。
ここからは、自分で数えた部分になる。
使ったのは令和3年度 全国道路・街路交通情勢調査(道路交通センサス)の「箇所別基本表」である[2]。 国土交通省が都道府県ごとにCSVで公開していて、愛媛県分は1,516区間ぶんある。 ここから市区町村コード38207(大洲市)の127区間を抜き出し、路線番号56の行だけを並べた。
数え方を先に書いておく。この表には「現道旧道区分」という列がある。1が現道、3が新道(バイパス)、2が旧道だ。 愛媛県全体では、現道1,410区間・4,033.4km、新道64区間・67.1km、旧道42区間・40.5kmとなっている。
図5: 愛媛県の道路を現道・新道・旧道で分けると。「旧道」は全体の1%に満たない(令和3年度センサスから独自集計)
そして、大洲市内の国道56号には、旧道に分類された区間が1つもない。 それどころか、愛媛県内の国道56号全体でも0である。
なぜか。バイパスができても、大洲の市街地を通る道は国道56号のままだからだ。 県道に降格したわけでも、市道に移されたわけでもない。 国が管理する国道56号が2本あって、片方が自動車専用の大洲道路、片方が街なかを通る現道、という形になっている。 大洲道路の各インターチェンジは「国道56号(現道)」に接続する、と道路の資料に書かれているとおりだ[14]。
では、大洲市内で「旧道」と分類されているのはどこか。センサスの表で数えると4区間・1.8kmしかない。
| 路線 | 区間数 | 延長 | 24時間交通量 |
|---|---|---|---|
| 一般国道441号 | 1 | 0.5km | 1,059台 |
| 県道長浜中村線 | 2 | 0.6km | 743台 |
| 県道信里伊予平野停車場線 | 1 | 0.7km | 交通量の記載なし |
表5: 大洲市内で「旧道」に分類されている4区間(令和3年度センサスから独自集計)
| 路線 | 区間数 | 合計延長 |
|---|---|---|
| 一般国道378号 | 5 | 2.6km |
| 県道壬生川新居浜野田線 | 4 | 9.2km |
| 県道松山空港線 | 4 | 3.4km |
| 県道久米垣生線 | 4 | 2.9km |
| 一般国道440号 | 3 | 9.5km |
| 県道松山東部環状線 | 3 | 2.7km |
| 一般国道197号 | 2 | 1.5km |
| 県道伊予松山港線 | 2 | 2.3km |
| 県道松山北条線 | 2 | 1.2km |
| 県道長浜中村線 | 2 | 0.6km |
| 県道宿毛津島線 | 2 | 0.3km |
| 県道大平砥部線 | 2 | 0.2km |
| 一般国道441号 | 1 | 0.5km |
| 一般国道494号 | 1 | 0.3km |
| 県道落合久万線 | 1 | 1.2km |
| 県道湯山北条線 | 1 | 0.9km |
| 県道信里伊予平野停車場線 | 1 | 0.7km |
| 県道松山港内宮線 | 1 | 0.3km |
| 県道三坂松山線 | 1 | 0.2km |
19路線42区間。書類の上では、これが愛媛県の「旧道」のすべてである。
書類の上で旧道でなくても、実態はどうか。それは交通量が答える。
令和3年度センサスの大洲市内・国道56号の数字を、全部並べる[2]。24時間の上下合計、単位は台/日。
| 区分 | 区間 | 延長 | 観測地点 | 観測日 | 24時間交通量 |
|---|---|---|---|---|---|
| 現道 | 西予市境〜県道野佐来八幡浜線 | 5.6km | 西予市宇和町大江 | 2021年 | 9,735 |
| 現道 | 〜国道197号交点 | 0.5km | 大洲市北只1020-5地先 | 2019/10/24 | 8,677 |
| 現道 | 国道197号交点〜大洲南IC | 0.4km | 同上 | 同上 | 8,677 |
| 現道 | 大洲南IC〜国道441号交点 | 1.5km | 大洲市柚木202-4地先 | 2019/10/24 | 5,149 |
| 現道 | 国道441号交点〜松山自動車道 | 4.3km | 大洲市東大洲 | 2021/10/26 | 15,198 |
| 現道 | 松山自動車道〜県道菅田五郎停車場線 | 0.7km | 大洲市東大洲 | 2021/10/5 | 18,563 |
| 現道 | 〜内子町境 | 4.6km | 大洲市新谷 | 2021年 | 14,928 |
| 新道(自専) | 大洲北只IC〜大洲南IC | 1.1km | 同区間 | 2021年 | 5,516 |
| 新道(自専) | 大洲南IC〜大洲肱南IC | 0.5km | 大洲市柚木 | 2019/9/25 | 20,098 |
| 新道(自専) | 大洲肱南IC〜大洲北IC | 3.8km | 同区間 | 2021年 | 22,065 |
| 新道(自専) | 大洲北IC〜大洲IC | 0.9km | 同区間 | 2019/9/25 | 7,891 |
| 新道(一般) | 大洲道路〜松山自動車道 | 0.9km | 大洲市東大州1686-1地先 | 2019/10/16 | 8,754 |
表7: 令和3年度センサス・大洲市内の国道56号(独自集計)。「大洲市東大州1686-1地先」の表記はセンサス原表のまま
図6: 大洲市内の国道56号の24時間交通量。同じ柚木で、バイパス20,098台・現道5,149台
現道の合計は17.6km、大洲道路は6.3km。大洲道路の6.3kmは、事業の計画延長6.3kmとぴったり一致した。 数え方が間違っていない証拠として使える。
表7で強調した2行を見てほしい。 同じ柚木という地区の中で、大洲道路が1日20,098台、現道が5,149台。約3.9倍の差がついている。
大洲南インターチェンジで、道は2本に割れる。まっすぐ市街地へ向かう国道56号と、山側を抜けていく大洲道路。 5台のうち4台が、街を通らずに先へ行く。
大洲肱南IC〜大洲北ICの区間になると、大洲道路は22,065台まで増える。 これは大洲市内で観測されたすべての道路のなかで、いちばん多い数字だ。 参考に書いておくと、国道197号の平野町野田で14,113台、県道大洲長浜線の五郎で12,127台、 伊予大洲駅前の県道伊予大洲停車場線で3,610台である。
この表を作るときに、ひとつ引っかかったことがある。平成27年度のセンサスと比べようとして、比べられなかった。
平成27年度の表では、柚木の現道(大洲南IC〜国道441号交点)が単独で測られていない[3]。 その先の東大洲までの区間とひとまとめにされていて、値は14,833台と書かれている。観測地点の名前は空欄だ。 令和3年度になって、この区間に大洲市柚木202-4地先という独立した観測地点が置かれ、5,149台という数字が出た。
つまり、14,833台から5,149台へ「3分の1に減った」わけではない。 測る場所が増えて、実態が見えるようになったというのが正しい。 同じように、北只の区間も平成22年度18,485台・平成27年度17,829台・令和3年度8,677台と動いている。 しかし平成27年度は観測地点名が空欄で、直接測ったものかどうか判断できなかった。 だから、この2つの区間については「減った」と書かない。
比較できるものだけ書く。大洲道路の柚木は平成22年度21,995台・平成27年度20,821台・令和3年度20,098台。 大洲肱南IC〜大洲冨士ICは23,487台・22,660台・22,065台。 バイパスの交通量は、この10年ほぼ横ばいである[2][3]。
もうひとつ注意点がある。表7の観測日を見ると、2019年のものと2021年のものが混ざっている。 センサスは全地点を同じ日に測るわけではなく、令和3年度調査に2019年の観測結果を活用している区間がある。 柚木の2つの数字(5,149と20,098)はどちらも2019年秋の観測なので、 この比較についてはコロナ禍の影響を考えなくてよい。そこは運がよかった。
最後にひとつ。15,198台という数字は、大洲城の前から東大洲までの4.3キロにまとめて割り当てられている。 観測したのは東大洲の1地点だけだ。肱川橋そのものの交通量は、この調査からは分からない。 街なかの数字として使うときは、そこを含んで読む必要がある。
道が付け替わると、町のどこが表通りでなくなるのか。 これがいちばん知りたかったことだった。そして、答えははっきり数字に出ている。
国交省の事後評価に、大洲市役所が提供した数字が1つだけ載っている。東大洲地区の店舗進出数である[1]。
図7: 東大洲地区の店舗進出数。11年で6社が93社になった(出典は大洲市役所・国交省の事後評価に収録)
11年で6社が93社になった。15倍以上である。
背景には土地区画整理事業がある。事後評価によれば、大洲道路と国道56号の周辺で2つの区画整理が行われた。 柚木・北只地区が施工面積12.4ヘクタール・1998年(平成10年)竣工。 東若宮地区が16.8ヘクタール・2004年(平成16年)竣工。 東若宮のほうは、1993年の八幡浜・大洲地方拠点都市地域の指定と、2000年の四国縦貫自動車道(伊予IC〜大洲IC)の事業化がきっかけだったと書かれている。 市立図書館が開いたのもここだ。事後評価は東若宮を「新たな中心市街地」と呼んでいる[1]。
新たな、という言葉が使われているということは、古いほうがあるということでもある。 道が変わったのではない。人が集まる場所が変わった。
高速道路が大洲まで来た2000年7月以降、大洲インターチェンジ付近の国道56号沿いに郊外型商業施設が次々に進出した。 そう説明したのは、2008年3月の市議会での建設農林部長の答弁である[11]。 同じ答弁のなかに「バイパス機能を持つ国道56号大洲道路が完成をし、渋滞が改善された」という一節もある。
では、いまの街なかは静かになったのか。そうでもないらしい。2017年3月の市議会で、ある議員がこう質問している[10]。
市内における国道56号の交通混雑緩和を目的の一つとして建設された自動車専用道路である大洲道路により、肱川橋付近では以前のような混雑は少なくなっておりますが、しかし松ケ花から若宮地区にかけては多くの車が行き来し、特に朝夕や休日は大変な混雑をしている状態であります。
混雑は、消えたのではなく移動した。肱川橋から、東大洲・若宮のほうへ。 買い物客の車で混む道が、大洲でいちばん混む道になったということだ。 この議員は解消策として、こぶし通り(市道田口徳森線)など市道の活用と、国道56号からのアクセス道路の整備を挙げている。
正直に書いておく。
1つめ。旧版地形図の年代比較ができなかった。 当初の狙いは、国土地理院の旧版地形図を年代別に並べて、道の線がどう動いたかを目で見せることだった。 地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」には5万分の1地形図「大洲」の図歴があり、 昭和28年応急修正・昭和36年発行といった版が存在することまでは確認できた[15]。 しかし、この作業環境からは地図画像そのものにアクセスできず、年代比較を記事に組み込めなかった。 「今昔マップ on the web」(埼玉大学)を使えばブラウザ上で新旧の地形図を切り替えられるので、 興味のある人はそちらを見てほしい[16]。
2つめ。道路元標の所在。前述のとおり、大洲市内に現存するという記録に届かなかった。
3つめ。1970年の第1次改修で、具体的にどこがどう変わったのか。 トンネルで峠道が結ばれたという記述までは確認できたが[9]、 大洲市内のどの区間が付け替わったかまでは特定できなかった。市史や県史の交通の章にあたる必要がある。
4つめ。大洲道路の総事業費。事後評価には費用便益分析の章があるが、 テキストとして取り出せた範囲では事業費の数字を確認できなかった。
いちばん意外だったのは、「旧道」という言葉が、大洲の国道56号には制度上まったく当てはまらなかったことだ。
普通、バイパスができれば古い道は県道や市道に降格して「旧道」になる。 愛媛県内にも42区間・40.5kmぶん、そういう道がある。しかし大洲の国道56号は違った。 街なかの道も国のままだ。看板も国道56号のままで、走っていて「旧道に入った」という感覚は一切ない。
にもかかわらず、柚木では通る車が4分の1になっている。格が下がらないまま、役割だけが降りた。
これは、たぶん悪いことばかりではない。国道のままなら国が管理し、国の予算で直る。 市道に降ろされていたら、維持費は市の負担になっていたはずだ。 書類の上で旧道にならなかったことは、大洲にとって得だった可能性がある。ここは推測である。
もうひとつ。数字を並べていて気づいたことがある。 道の付け替えが「街の外し方」として設計されていたということだ。 事後評価が挙げる効果の項目には、渋滞・速度・事故と並んで「都市の再生」がある。 そこに書かれているのは区画整理と店舗進出の話だ。 バイパスは渋滞対策であると同時に、新しい商業地を作る装置でもあった。 東大洲の6社が93社になった11年間は、たまたまではない。
大洲城の下を、国道56号はいまも通っている。統計の上では、1日1万5千台ほどが割り当てられた区間だ。 街なかの道は、まだ十分に生きている。
ただ、そこを通る車のうちトラックは、20年前の5分の1になった。 通り過ぎるための道ではなくなり、行くための道になった。 道の性格が変わるというのは、たぶんこういうことなのだと思う。
出典