大洲の自由研究 #03
2026年3月の松山地裁判決に「社会通念に照らして安全性を欠いていたとは認められない」という 一文がある。この言い回しは、1984年に最高裁が作った枠組みをほぼそのまま引き継いだものだ。 40年以上前の判決が、なぜ今も肱川の裁判を規定しているのか。判例の系譜だけを、正面から追ってみる。
判決に「社会通念に照らして安全性を欠いていたとは認められない」いう一文があるんよ。
これ、1984年に最高裁がつくった枠組みをほぼそのまま引き継いどる。
40年以上前の判決が、いまも肱川の裁判を決めよるんよ。
最初に、この記事の立ち位置をはっきりさせておきたい。
2018年7月の西日本豪雨で、野村ダム(西予市)と鹿野川ダム(大洲市)が緊急放流を行い、下流の肱川が氾濫した。
大洲市で3人、西予市で5人、合わせて8人が亡くなっている。この放流操作と避難情報の提供に問題があったとして、被災者・遺族ら31人が国(国土交通省四国地方整備局)と西予市・大洲市に対し、総額約5億3,800万円の損害賠償を求めた裁判で、2026年3月18日、松山地方裁判所(古市文孝裁判長)は原告側の請求をすべて退けた。
原告のうち27人が3月30日に控訴し、31日付で受理されている[1]。舞台は高松高等裁判所に移り、この裁判はまだ続いている。
この記事は、係争中のこの裁判の勝敗を予想しない。原告・被告のどちらかの主張を支持することもしないし、当事者個人への評価も書かない。
書くのは、判決文に出てきた「社会通念に照らして」という言い回しが、どういう歴史の産物なのかという、判例法理だけの話だ。
なぜそれを書きたいかというと、この一文の背景を知っているかどうかで、判決の読み方が根本的に変わるからだ。
背景を知らずに読むと「裁判所が行政をかばった」という話に見える。
背景を知って読むと「1984年に最高裁が引いた線の内側で、粛々と当てはめが行われた」という話に見えてくる。
どちらが正しいかではなく、後者の見方を知っておく価値がある、というのがこの記事の趣旨だ。
河川の水害で国や自治体の責任を問うとき、根拠になるのは国家賠償法2条1項という条文だ。 全文を引くと、こうなる。
たった一文だが、ここには重要な特徴がある。「過失」という言葉が入っていないという点だ。
国家賠償法1条(公務員の違法な行為による賠償)は「故意又は過失」を要件にしているのに対し、2条は「瑕疵」があったかどうかだけを問う。
これは法律の世界で無過失責任と呼ばれる考え方で、管理者が注意を尽くしていたかどうかとは別に、物そのものに欠陥があれば責任を負う、という構造になっている。
理屈のうえでは、住民側にとって有利な条文のはずだ。「行政の担当者が手を抜いていた」ことを立証しなくても、「川に欠陥があった」ことさえ示せればいい。
では「瑕疵」とは何かというと、判例では長く「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」と定義されてきた。
問題は、この「通常有すべき安全性」を川についてどう考えるか、というところにある。
条文には「道路、河川その他の公の営造物」と書いてある。 同じ条文に並んでいるのだから同じ基準で判断されそうなものだが、実際にはそうならなかった。 その理由は、道路と川の成り立ちの違いにある。
人間が最初から意図して作ったもの。作るときに安全基準を満たすことが前提で、完成した瞬間から「通常有すべき安全性」を備えているはず、と考えられる。穴が空いていれば、それは明らかに欠陥だ。
もともと自然にあったものを、人間が後から管理下に置いたもの。管理を始めた時点ですでに危険を内包しており、安全にするには長い年月と莫大な費用がかかる。「完成」という状態が存在しない。
川は、行政が作ったから危険なのではなく、もともと危険なものを行政が引き受けたという構造になっている。
しかも全国の川をいっぺんに安全にする予算も人手も存在しない。
この違いをどう法的に扱うか、というのが1970年代から80年代にかけての最大の論点だった。そして1984年、最高裁がその答えを出す。
事案はこうだ。1972年(昭和47年)7月の集中豪雨で、大阪府大東市を流れる寝屋川水系の河川が氾濫し、市街化が進んでいた低湿地帯の住宅が床上浸水した。
この地域の河川では改修工事が進行中だったが、被害が出た区間はまだ未改修だった。住民らが国と大東市を相手取り、国家賠償を求めて提訴した。
一審・二審は住民側が勝訴していた。しかし最高裁は1984年(昭和59年)1月26日、 これを覆す判断を示す。示された判断基準の中核が、次の一文だ[2]。
ここに2つの物差しが入っている。1つは「同種・同規模の河川の管理の一般水準」。
つまり、全国の似たような川がどの程度整備されているか、という相対的な基準だ。
もう1つが「社会通念」。世間一般の常識から見て許されるかどうか、という基準になる。
そして最高裁は、この基準を適用する前提として、河川管理には財政的・技術的・社会的な諸制約があることを正面から認めた。
予算には限りがある(財政的制約)。工事の技術にも限界がある(技術的制約)。
用地買収や住民との調整には時間がかかる(社会的制約)。こうした制約のもとで、まだ通常予測される災害に対応できる安全性に至っていない現段階では——という留保が置かれたうえで、判断が組み立てられている。
この最高裁判決が示した枠組みが、法律の世界で「大東基準」と呼ばれるものだ。
42年後の2026年、松山地裁の判決文に出てきた「社会通念に照らして安全性を欠いていたとは認められない」という言い回しは、この文言をほぼそのまま踏襲したものと読める。
大東判決のもう1つの核心が、未改修河川に求められる安全性の水準についての判示だ。
最高裁は、未改修または改修が不十分な河川については、治水事業による改修・整備の過程に対応する、いわば「過渡的な安全性」をもって足りるとした。
この「過渡的な安全性」という概念が、実務にどれだけ強い影響を与えたかを整理しておきたい。
普通の営造物なら、「通常有すべき安全性」は1つに定まっている。
道路に穴が空いていれば、その穴は工事の途中だろうが何だろうが欠陥だ。
ところが川については、「完成形の安全性」ではなく「今の整備段階なりの安全性」で判断してよいということになった。
言い換えると、比べる相手が変わったということだ。被害を受けた住民から見れば、比較対象は当然「安全だったはずの川」になる。
しかし大東基準のもとでは、比較対象は「同じくらい整備が遅れている全国の他の川」になる。
全国的に整備が遅れているなら、遅れていること自体は瑕疵ではない、という結論が導かれやすくなる。
被害の大きさや、後から振り返って「こうしていれば防げた」と言えるかどうかは、直接には効いてこない。
大東判決には、さらに踏み込んだ判示がある。すでに改修計画が定められ、 それにもとづいて現に改修中である河川について、次のように述べた部分だ。
この判示を分解すると、住民側が瑕疵を主張するには、次のどちらかを立証しなければならないことになる。
| 立証すべきこと | 内容 | 難易度が高い理由 |
|---|---|---|
| 計画そのものの不合理性 | 河川改修計画が、全体として不合理だったと示す | 計画は治水の専門家が全国的な優先順位を考慮して作る。行政の専門的裁量が広く認められる領域で、外部から「全体として不合理」と言い切るのは極めて難しい。 |
| 特段の事由の発生 | 計画策定後に事情が変わり、順序を繰り上げてでもすぐ工事すべきだったと示す | 「事情の変動」が「特に顕著」であったことに加え、それを行政が認識できたはずだという点まで求められる。 |
つまり計画が合理的でありさえすれば、その計画に沿って未着工のまま被害が出ても、それだけでは責任は生じない。
行政側は「計画に従って順次進めていた」と説明できれば足りる。
この構造が、水害訴訟で住民側が勝ちにくいと言われる最大の理由になっている。
大東基準が確立したあと、それとは違う類型の川についての判断が示される。 多摩川水害訴訟だ。
1974年(昭和49年)8月末から9月にかけて、台風16号による豪雨で一級河川・多摩川が増水した。
河道内に設置されていた宿河原堰(二ヶ領上河原堰の一部)を越えた流水によって左岸の堤防が破られ、東京都狛江市の家屋19棟が流失するという水害が起きた。
当時の映像は、家がそのまま川に崩れ落ちていく衝撃的なものとして記録されている。
この訴訟の経過は、判例の複雑さをそのまま体現している。
| 時期 | 裁判所 | 結果 |
|---|---|---|
| 1979年(昭和54年)1月25日 | 東京地方裁判所 | 住民側 勝訴 |
| 1987年(昭和62年)8月31日 | 東京高等裁判所 | 住民側 逆転敗訴(大東基準を適用) |
| 1990年(平成2年)12月13日 | 最高裁判所第一小法廷 | 破棄差戻し |
| 1992年(平成4年)12月17日 | 東京高等裁判所(差戻審) | 住民側 勝訴 |
| 1992年12月26日 | — | 国が上告を断念し確定 |
最高裁が破棄差戻しにした理由が、この判決の要点だ。多摩川のこの区間は、工事実施基本計画に準拠してすでに改修が済んでおり、新規の改修・整備の必要がないとされていた。
つまり「未改修河川」ではなく「改修済河川」だった。最高裁は、改修済河川については別の基準で判断すべきだとして、次の枠組みを示した[3]。
違いは決定的だ。大東基準では「他の川と比べてどうか」という相対評価だったのに対し、多摩川基準では「計画に定めた規模の洪水に耐えられるか」という絶対的な物差しになる。
改修が済んだと宣言した以上、その計画で想定した洪水には耐えられなければならない、という理屈だ。
差戻審の東京高裁は、当時の技術水準と過去の災害事例に照らせば、災害の3年前である1971年の時点で、施設の欠陥から災害の発生を予測できたと認定し、国の河川管理に過失があったと判断した。
国は上告を断念し、住民側の勝訴が確定した。被災から18年、提訴から16年が経っていた。
賠償額は約3億1,300万円、これに約2億7,500万円の遅延損害金が加わったと報じられている。
ここまでの話を1枚にまとめる。水害訴訟では、まずその川のその区間が 「未改修・改修中」なのか「改修済」なのかという入口の振り分けがあり、 そこでどちらの基準が適用されるかが決まる。
図1: 河川管理の瑕疵をめぐる2つの判断基準。各判決の判示内容をもとに、この記事用に整理・作図
ここまでの整理をふまえて、大東基準が構造的に住民側に厳しくなる理由を、3点に分けて言語化しておきたい。
理由1: 比較対象が「他の川」になる。安全かどうかを、その川の絶対的な状態ではなく、全国の同種・同規模河川との相対で判断する。
日本全体で治水整備が追いついていない以上、「遅れている」ことは平均的な状態であって、逸脱ではないという評価になりやすい。
理由2: 行政の裁量が広く認められる。どの川をいつ改修するかという優先順位づけは、財政・技術・社会の3つの制約のもとでの専門的な判断とされる。
裁判所は、その専門的判断の当否には基本的に踏み込まず、「全体として不合理でないか」というかなり緩い審査に留める。
理由3: 結果の重大さが直接には効かない。何人が亡くなったか、何棟が流されたかという被害の大きさは、瑕疵の有無を判断する場面では決定的な要素にならない。
被害が甚大であったことは、賠償額の算定では意味を持つが、そもそも責任が認められるかどうかの入口では、直接の理由にならない。
この3つが重なることで、水害訴訟における住民側の立証負担は非常に重くなる。
「行政が悪い」ことを示すのではなく、「行政の判断が、全国的な水準から見ても明らかに逸脱していた」ことを示さなければならないからだ。
では、大東基準がある限り住民側は絶対に勝てないのか。そうではない。 近年、その例外にあたる判断が出ている。鬼怒川水害訴訟だ。
2015年9月の関東・東北豪雨で鬼怒川が氾濫し、茨城県常総市に甚大な被害が出た。
住民らが国を相手取って提訴した裁判で、争点は大きく2つの地区に分かれていた。
堤防が決壊した地区。裁判所は、国の河川改修計画に「格別不合理な点はない」として請求を退けた。まさに大東基準がそのまま適用された形になる。
堤防の役割を果たしていた自然の砂丘林が、災害前に太陽光発電の事業者によって掘削されていた地区。裁判所は国の河川管理の瑕疵を認めた。
水戸地方裁判所は2022年7月22日、若宮戸地区について国の責任を認め、約3,927万円の賠償を命じた。
控訴審の東京高等裁判所(中村也寸志裁判長)も2025年2月26日、同じく若宮戸地区について国の責任を認定し、原告9人に対して約2,850万円の賠償を命じている[4]。
この判断がなぜ例外的なのかというと、若宮戸地区の砂丘林は「未改修」だったにもかかわらず、国の責任が認められたからだ。
大東基準の枠組みでは、未改修区間で被害が出ても、計画が不合理でなければ瑕疵にならないはずだった。
しかし高裁は「未改修であっても管理者は川の安全を維持する責任を担う」という趣旨で、砂丘を維持・保全する必要があったと判断した。
堤防の代わりをしていた自然地形が第三者によって削られたのに、国がそれを河川区域に指定して守る措置を取らなかった、という不作為が問われた形だ。
弁護団はこれを「河川管理の枠組みが広がった」と評価している。
一方で原告側からは「気持ちとしては敗訴」という声も出た。堤防が決壊した上三坂地区については請求が退けられ、認容額も一審から減額されたからだ。
それでも、大東基準の適用範囲に限界があることを示した判断として、この訴訟は水害訴訟史の中で重要な位置を占めることになった。
ここまでの整理をふまえて、2026年3月18日の松山地裁判決の報道された内容を、判例の枠組みに置き直してみる。
繰り返すが、判断の当否は論じない。どの法理がどこで使われたのか、という位置づけの確認だけをする。
報道によれば、松山地裁はダムの操作規則について「社会通念に照らして安全性を欠いていたとは認められない」と判断し、あわせて、ダム管理者が当時それほどの規模の豪雨になると予見できたとまでは言えないとして過失を認めなかった[1]。
「社会通念に照らして」という表現は、第4章で見た大東基準の中核部分の言い回しと重なる。
避難情報の周知については、市の対応が「裁量権の逸脱・濫用とは言えない」として違法性が否定された。
ただし報道では、市の避難指示について「改善の余地がある」という言及もあったと伝えられている。
「改善の余地がある」という評価と「違法ではない」という結論が両立するのは、行政裁量の審査が「ベストだったか」ではなく「明らかに逸脱していないか」を問う構造になっているからだ。
| 争点 | 使われた法的な枠組み | 報道されている結論 |
|---|---|---|
| ダムの操作規則・操作の是非 | 営造物の設置管理の瑕疵(国賠法2条1項)。大東基準系の「社会通念」による評価 | 安全性を欠いていたとは認められない |
| 豪雨の規模の予見 | 予見可能性 | 予見できたとまでは言えない |
| 市の避難情報の周知 | 行政裁量の逸脱・濫用の有無 | 逸脱・濫用とは言えない(ただし改善の余地への言及あり) |
重要なのは、これら3つの争点のいずれにおいても、裁判所が判断しているのは「最善だったか」ではないということだ。
大東基準は「一般水準からの逸脱があるか」を問い、裁量審査は「明らかな踏み外しがあるか」を問う。
どちらも、行政の判断に一定の幅を認めたうえで、その幅の外に出ているかどうかを見る構造になっている。
判決文の言葉が、被災した人の実感と噛み合わないことがあるのは、問われている質問がそもそも違うからだと言える。
ここで1つ、法律論として面白い論点がある。大東基準は、もともと 「川の整備が追いついていないこと」をどう評価するかの基準として作られた。 堤防が低い、河道が狭い、といった静的な状態が念頭にある。
ところが、今回の肱川の裁判で問われているのは、既に存在するダムの操作という動的な行為だ。
事前にどれだけ水を放流して容量を空けておくか、いつ緊急放流に切り替えるか、という運用上の判断が争点になっている。これは「整備が追いついていない」という話とは、質が違う。
理屈のうえでは、ダムのような人工構造物の運用は、自然公物である川そのものよりも人工公物に近い側面を持つ。
実際、鬼怒川訴訟の若宮戸地区では「未改修であっても管理者は安全を維持する責任がある」という方向の判断が示された。
操作規則にもとづく運用の是非を、どこまで大東基準の枠組みで扱うのかは、控訴審での争点の1つになり得る部分だと思われる。
大東基準が示されたのは1984年。前提とされていたのは、「治水事業を積み上げていけば、いずれ通常予測される災害に対応できる安全性に到達する」という、右肩上がりの世界観だった。
判決文の「いまだ……安全性を備えるに至っていない現段階」という表現は、いつか到達するという前提を含んでいる。
しかし気候変動によって、想定を超える豪雨の頻度が上がっている。
整備の目標そのものが動き続けるなら、「現段階」という留保はいつまでも終わらないことになる。
過渡的な安全性で足りるという判断が、恒久的に適用され続ける可能性が出てくる。
公益財団法人河川財団の水害研究会は2023年11月、「河川の安全性と河川管理責任を考える~大東判決・多摩川判決等で示された判断基準の視点から~」という報告書をまとめている[5]。
大東判決と多摩川判決という2つの基準を軸に、河川管理責任のあり方を検討したもので、現在の実務が今なおこの2つの判決を出発点にしていることを示す資料でもある。
また、水害訴訟の歴史のなかで鬼怒川水害訴訟をどう位置づけるかについては、梶原健嗣氏による学術論考が水資源・環境学会の刊行物に収録されている[6]。
国の政策の側は、この40年で確実に変化している。近年は「流域治水」という考え方が前面に出るようになった。
堤防やダムだけで水を抑え込むのではなく、流域全体で雨水を貯め、土地利用や避難まで含めて水害に備えるという転換だ。
肱川でも2018年の豪雨後、肱川緊急治水対策として流域全体を対象とする事業が進んでいる。
政策が「完全な防御は不可能」という前提に移行しているなかで、法的責任の枠組みだけが1984年の世界観のままでよいのかは、法律学の側からも問われている論点だと言える。
正直に書いておきたい限界がいくつかある。
1つ目。松山地裁判決の判決文そのものを読むことはできなかった。
この記事に書いた判決内容は、すべて報道機関が伝えた範囲にもとづいている。
判決文には、裁判所がどの判例を明示的に引用したか、大東判決の名前を挙げているのかどうかが書かれているはずだが、公開されている判例データベースで本判決を確認することはできなかった。
したがって「松山地裁が大東基準を適用した」と断定はできない。
言えるのは「報道されている判示の言い回しが、大東判決の中核部分と重なっている」というところまでだ。
2つ目。大東判決・多摩川判決の判決文についても、原文を直接参照できていない。
裁判所の判例検索や河川財団の報告書PDFにあたったが、文字が正しく抽出できないなどの理由で原文の確認ができなかった。
本文中の引用は、複数の判例解説で共通して紹介されている文言にもとづいており、その旨を引用元の注記に明示している。法的な議論に使う場合は、必ず判例集の原文にあたってほしい。
3つ目。ダムの操作をめぐる責任について、大東基準がどう適用されるかを正面から論じた判例や学説を、今回は見つけられなかった。
第12章に書いた論点は、判例の構造からの論理的な整理であって、確立した学説を紹介したものではない。この点は推測であることを明示しておく。
4つ目。西日本豪雨をめぐっては、他の地域でも同種の訴訟が起こされている可能性があるが、それらの判決との比較まではできなかった。
全国的な傾向のなかで松山地裁判決がどこに位置するのかは、この記事では扱えていない。
最後に、この記事で確認できたことを整理する。
①河川の水害をめぐる国家賠償には、40年以上前に作られた専用の判断枠組みがある。
1984年の大東水害訴訟最高裁判決が示した「同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性」という基準がそれで、未改修河川については「過渡的な安全性」で足りるとされている。
②改修済の河川には、別の基準が適用される。 1990年の多摩川水害訴訟最高裁判決により、改修が済んだとされた区間では 「工事実施基本計画に定める規模の洪水に耐えられるか」という絶対的な基準で判断される。 多摩川訴訟では最終的に住民側が勝訴し、確定した。
③大東基準は万能の盾ではない。 鬼怒川水害訴訟では、未改修の区間についても、堤防の役割を果たしていた砂丘林を 保全しなかった国の不作為が瑕疵と認定された。 一審・控訴審ともに国の責任が一部認められている。
④判決文が被災者の実感と噛み合わないことがあるのは、問いの立て方が違うからだ。
裁判所が判断しているのは「最善の対応だったか」ではなく、「一般水準から明らかに逸脱していたか」「裁量の範囲を明らかに踏み外したか」である。
この構造を知っていると、判決文の冷たさの正体が少し見えてくる。
肱川の裁判は、高松高等裁判所で続いている。その結論がどうなるかを予想することは、この記事の役割ではない。
ただ、その判決が出たときに、「どの基準が、どこにどう当てはめられたのか」を自分で読める状態にしておくことには、意味があると思う。
1984年の枠組みが維持されるのか、それとも鬼怒川判決のように輪郭が動くのか。
それを見分ける物差しを、この記事が少しでも用意できていればと思う。
出典