大洲の自由研究 #13
平成30年7月の豪雨から、8年が経った。 大洲市では、関連死を含めて5人が亡くなっている。浸水面積は約1,372ヘクタール、被災した事業所は1,037か所にのぼった。 その後の8年について、「復興した」とも「まだ道半ば」とも言われる。どちらも間違ってはいない。ただ、それだけでは何も分からない。 そこで、言葉ではなく事業名と金額と完了年で並べてみることにした。
平成30年7月の豪雨から8年。復興計画の88事業を、1件ずつ照合したんよ。
158億円ぶん。建ったもんと、建たんかったもんを分けて並べとる。
災害の前、市の災害復旧費は800万円やった。
資料は市が自分で出している。「大洲市復旧・復興報告書(平成30年7月豪雨災害)」という49ページの冊子だ[1]。 令和6年3月発行、編集は総合政策部復興支援課。この中に、復興計画に載った88事業が、事業費と事業期間つきで1件ずつ並んでいる。
さらに、その5年前に作られた「復興工程表」がある[3]。 平成31年3月時点で、それぞれの事業をいつまでに終える予定だったかを書いた表だ。 この2つを突き合わせれば、計画と実際のずれが1件ずつ出る。それをやってみた。
まず、災害が起きる前の話から。
平成30年度の当初予算で、大洲市が災害復旧費として組んでいた額は800万円である。 これは市議会の答弁に残っている。「災害に応急的に対応するための予算」として計上したと説明されている[15]。
災害が起きたら、その都度、補正予算を組む。緊急なら予備費か専決処分で対応する。そういう建て付けだった。 その4か月後に豪雨が来た。
7月に専決処分と9月補正で合わせて57億円。さらに9月定例会の最終日に、追加の補正予算82億6,137万4,000円が提案された。 これで平成30年度の予算総額は422億9,473万6,000円になり、前年の同時期と比べて64.4%の増になった[15]。
800万円で始まった年度が、そういう年度になった。 翌平成31年度の当初予算では、災害復旧費として約10億6,000万円が最初から組まれている[23]。 800万円だった科目が、1年で130倍あまりの構えに変わった。
財源はどうしたか。市債の発行見込みが約42億1,000万円、財政調整基金の取り崩しが約18億5,000万円。答弁ではこう見込まれている。 ただし副市長は同じ答弁の中で、激甚災害指定による補助率のかさ上げがあるため、 実際の市債発行額と基金取り崩し額は減る見込みだとも述べている[15]。
年度ごとの推移を見たい。ここは市の資料ではなく、総務省の「市町村別決算状況調」を使った[4][5][6]。 全国の市町村の決算を、目的別の歳出に分けて並べたデータだ。 この中の「十一 災害復旧費」という科目を、平成25年度から令和6年度まで12年分、大洲市の行から拾った。
数字が正しく取れているかは、別の資料で検算できた。令和5年度の公債費は32億892万5,000円になるが、 これは市議会で財政契約課長が答えた額と一致する[18]。 同じ表の同じ行から取っているので、災害復旧費の値も信頼していい。
| 年度 | 大洲市 | 西予市 | 宇和島市 | 八幡浜市 |
|---|---|---|---|---|
| 2013(H25) | 0.47 | 2.40 | 0.56 | 0.36 |
| 2014(H26) | 1.07 | 3.68 | 0.48 | 0.15 |
| 2015(H27) | 0.14 | 5.80 | 1.62 | 0.34 |
| 2016(H28) | 1.52 | 7.72 | 3.27 | 1.25 |
| 2017(H29) | 1.88 | 2.57 | 1.91 | 1.09 |
| 2018(H30) | 17.94 | 14.26 | 40.44 | 3.32 |
| 2019(R1) | 14.97 | 29.05 | 34.94 | 2.64 |
| 2020(R2) | 8.47 | 18.99 | 36.13 | 2.38 |
| 2021(R3) | 4.65 | 11.38 | 25.00 | 1.56 |
| 2022(R4) | 3.15 | 11.62 | 21.54 | 0.57 |
| 2023(R5) | 0.71 | 6.03 | 4.44 | 2.00 |
| 2024(R6) | 1.44 | 4.91 | 3.30 | 1.53 |
表1: 災害復旧費の12年(億円)。総務省「市町村別決算状況調」の目的別歳出から抽出[4]
図1: 災害復旧費の12年。大洲市は2018年度に跳ね上がり、2023年度には災害前の水準を下回った
大洲市のピークは平成30年度の17.94億円だった。災害前5年の平均は1.02億円なので、約17.6倍である。 そこから、ほぼ一直線に下がっていく。
注目したいのは令和5年度だ。0.71億円。これは災害前5年の平均(1.02億円)よりも低い。 数字の上では、市の災害復旧費は令和5年度に平時へ戻っている。
2018年度から2024年度までの7年分を足すと、約51.3億円になる。
ここで正直に書いておかなければならないことがある。 この51.3億円は、豪雨からの復旧に大洲市が使った総額ではない。
「災害復旧費」に入るもの・入らないもの
入るもの: 道路・河川・農地・農業用施設など、壊れた「施設を直す費用」。
入らないもの: 浸水した家の再建支援、災害廃棄物の処理、被災した事業者への補助。これらは民生費・衛生費・商工費などに散っている。だから、後で出てくる復興計画の158億円とは一致しない。同じ災害を、違うものさしで測っているだけだ。
もうひとつ。この科目には平成30年豪雨以外の災害も入る。毎年の台風被害もここに計上される。 令和6年度に少し戻っているのは、たぶんそのためだと思われる。ただしそこまでは分解できなかった。
市自身のものさしに移る。
平成31年3月、市は「大洲市復興計画(確定版)」を策定した[2]。 令和2年7月には見直して第2版にしている。 「市民生活の再生」「生活基盤の再生」「経済・産業の再生」「防災力の向上」という4つの柱を立て、 その下に88の事業を並べた計画だ。
事業費の合計は15,835,723千円=約158億円。柱ごとの内訳を1本の帯にした[1]。
図2: 復興計画158億円の内訳(4つの復興ビジョン別)
金額の大きい事業を上から並べると、この災害が何を壊したのかが見えてくる。
| 事業名 | 事業期間 | 事業費 |
|---|---|---|
| 市内高速情報通信網(光回線)の整備 | 2020.12〜2022.3 | 14.4億円 |
| 災害公営住宅の整備 | 2018.11〜2021.9 | 14.2億円 |
| 公共土木施設災害復旧事業(大成橋) | 2018.7〜2022.6 | 13.3億円 |
| 肱川中学校施設整備事業 | 2018.7〜2022.12 | 12.9億円 |
| 被災者生活再建支援制度の推進 | 2018.8〜2022.8 | 12.1億円 |
| 公共土木施設災害復旧事業(河川14・道路82箇所) | 2018.7〜2021.7 | 9.6億円 |
| 全壊・半壊した家屋等の解体・撤去事業 | 2018.8〜2019.7 | 9.4億円 |
| 防災行政無線の修繕及びデジタル化 | 2018.8〜2022.3 | 8.6億円 |
| 被災農業者経営体育成支援事業 | 2018.9〜2019.3 | 8.4億円 |
| 住宅の応急修理 | 2018.7〜2020.3 | 7.2億円 |
表2: 事業費が大きい順トップ10[1]
一番上が光回線というのは、少し意外だった。これは災害で壊れたものを直した事業ではない。 市内全域に高速通信の基盤がなく、地域によってインターネットの条件に差があったため、 国の令和2年度第2次補正予算などを使って光ファイバを敷いた事業である。 復旧ではなく、災害をきっかけに前へ進めた事業がここに入っている。
一方で、13の事業は事業費が0円だった。訪問支援、健康支援、事業承継の相談、防災意識の啓発、災害の記録化。 人が動いただけで、金はかけていない。88事業のおよそ7分の1は、そういう種類の仕事である。
ここからがこの記事の本題になる。
復興工程表(平成31年3月時点)に書かれた完了予定と、報告書に書かれた実際の完了時期を、 88事業すべてについて突き合わせた[1][3]。
事業番号は両方の資料で一致している。念のため、番号68(企業用地)、49(保育所)、5(市営住宅)、81(内水対策)の4件で 事業名が同じであることを確認した。 1件だけ、番号37が「災害廃棄物仮置場復旧事業」から「森林公園復旧事業」に名前が変わっているが、内容を読むと同じ事業だった。 森林公園を災害廃棄物の仮置場に使い、そのあと復旧した事業である。
結果はこうなった。予定どおり40・前倒し19・遅れ29。 遅れた29事業の遅れを合計すると329か月になる。1事業あたり平均11.3か月、最大は36か月だった。
図3: 計画からのずれ。遅れの上位12事業と、前倒しの上位5事業(独自照合)
この図を見比べると、傾向がはっきり出ている。
遅れたのは、土地がからむものだ。企業用地の確保が36か月、市営住宅が26か月、大成橋が15か月。 用地の交渉と、他の工事との順番待ちが要る仕事である。
早く終わったのは、紙とデータだ。記録誌の作成、光ファイバの敷設、支援チームの会議。 相手が土地ではないものは、前倒しできている。
そしてもうひとつ。被災者の見守りと健康支援が、それぞれ18か月ずつ延びている。 これは工事が遅れたのとは意味が違う。予定より長く、支援を続ける必要があったということだ。
復旧の記事は、できたことばかり書きがちだ。だからここは同じ密度で書く。
88事業のうち、はっきり「やらなかった」と書かれているものが1つある。
事業番号63「農業における生鮮物流の強化支援」。事業費0円。報告書の説明はこうだ。 「災害時でも機能し得る、既存の物流ルートとは異なる物流システムについて、検証・整備することとしていたが、 物流ルートに障害が発生しなかったことから事業は行わなかった」[1]。
必要がなくなったのでやめた、という記録である。 計画に載せたものを消した理由が書き残されているのは、それ自体が誠実な仕事だと思う。
大川地区の大成体育館は、床上220センチの浸水を受けた。 市は災害復旧事業として3,500万円をかけて原状復旧した。事業期間は2018年7月から2019年7月である[1]。
ただし、平成30年12月の市議会で、この予算に対して議員からこういう指摘が出ていた。 地域の人たちからは「今回の災害により2メートルの浸水があったのだから、現在の体育館を取り壊し、 土地をかさ上げした後に新たな体育館や広場を建設してほしい」という強い要望がある、と[16]。
実際に選ばれたのは原状復旧だった。 そして、その後にまとめられた大川地区の実施計画には、こう書かれている。 「敷地造成、既存建物(大成体育館・旧大成保育所)の解体撤去 ⇒令和7年度完成予定」。
直した建物を、あとで壊すことになった。
これを無駄だったと決めつけるつもりはない。災害復旧事業には「元に戻す」という原則があり、 その場で使える制度でできることを、まずやった、という順番だったのだと思われる。ただ、記録としてはこう残っている。
被害が特に大きかった大川地区と肱川地区には、それぞれ別に地区別の実施計画が作られた。 この2つの地区で、進み方がはっきり分かれた。
肱川地区(半壊以上111世帯、家屋解体64件)は、ほぼ終わっている。 災害公営住宅10戸は令和2年度に完成した。支所・公民館・図書館を1つにまとめた複合公共施設も整備され、 令和5年3月の答弁では7月末ごろの供用開始を目指すとされていた。 同じ答弁で、肱川地区復興まちづくり計画の事業は「おおむね完了する見込み」とされている[21]。
大川地区(半壊以上52世帯、家屋解体24件)は、そうなっていない。
同じ令和5年3月の答弁では、大川地区は「地区別計画策定には至っていない」と述べられている[21]。 発災から4年8か月の時点で、計画そのものがまだできていなかった。
理由も同じ答弁に書かれている。大川地区の整備は、愛媛県が進める堤防整備と県道整備に合わせる必要がある。 市が単独で先に進められる工事ではない。実際、令和元年12月に変更された肱川水系河川整備計画では、 大川工区の堤防整備は「下流の国管理区間の整備の状況に応じて実施する」とされている。 順番が決まっている以上、待つしかなかった、ということだと読める。
令和6年12月の市議会では、議員が今後の大型事業を挙げる中で、大川地区復興まちづくり計画を 「平成30年7月西日本豪雨災害からの復旧道半ば」と呼んでいる[18]。 発災から6年半が過ぎた時点の言葉である。
そして令和8年3月、つまりこの2026年度の施政方針で、市長はこう述べた。 令和8年度に、大川コミュニティセンターの移転・新築工事に着手する。 新たに整備するコミュニティセンターが「復興のシンボル」となるよう、早期完成を目指す、と[20]。
8年目にして、ようやく着工である。
なお、令和5年12月の副市長答弁では、令和8年度に設計、令和9年度に新築工事という説明だった[19]。 令和8年3月の施政方針では令和8年度中の着工となっている。 どちらが最終的な工程になるのかは、この記事を書いている時点では分からなかった。
大川地区では、このほかにも敷地の嵩上げが令和7年度、堤防を含む基盤施設の再整備が令和9年度の完成予定とされている。
図4: 8年でできたこと(左)と、まだできていないこと・これからの予定(右)
住宅の被害は、全壊395棟、大規模半壊523棟、半壊1,141棟だった。 内閣府の事例集によれば、大洲市は愛媛県内で最も被災世帯数が多かった市である[10]。 当時の人口は43,825人、20,061世帯だった。
住まいの再建は、こう進んだ。
応急仮設住宅は愛媛県が整備した。徳森仮設団地45戸、大駄場仮設団地15戸の計60戸。 供与期間は2018年9月から2021年10月までで、3年1か月続いた。 工程表では2020年9月に終える予定だったので、13か月延びたことになる[1][3]。
災害公営住宅は市が整備した。平団地26戸、森団地14戸、下鹿野川団地10戸の計50戸。 2021年9月に完了している[1]。
この災害公営住宅も、6か月遅れた。令和2年3月の市議会で理由が説明されている。 平団地と下鹿野川団地で「関係機関との調整等に不測の日数を要し」、年度内の完成が見込めなくなったという。 市は大駄場仮設団地で住民説明会を開き、工程を説明した。 徳森仮設団地でも3月に説明会を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため延期になっている。
このほか、市営住宅7団地137戸を復旧し、30戸を一時使用として提供した。民間住宅を借り上げる「みなし仮設」も併用されている。
見守りの側から見ると、数字はこう動いた。市が設置した地域支え合いセンターの支援対象は、当初2,507世帯だった。 これは被災当時に床上浸水以上の被害を受けた世帯数である。 そこから、健康状態や各種サービスの利用状況、加算支援金を使って住居が安定した人を除いていった結果、 令和2年度末には232世帯になった[22]。
発災から2年8か月で、対象は1割弱まで絞られたことになる。
ただし、令和3年12月の市議会では、平野地区で大規模な地滑りが起き、 7世帯21名が当時なお避難生活を余儀なくされているという発言も残っている[22]。
なぜ人口4万人あまりの市が、158億円の事業を組めたのか。制度を押さえておきたい。
根っこにあるのは公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法(昭和26年法律第97号)という古い法律だ[8]。 地方公共団体が管理する公共土木施設が被災したとき、機能を回復する費用の一部を国が負担する。 しかもその負担を「地方公共団体の財政力に適応するように」定める、という考え方の法律である。
その上に激甚災害法が乗る。正式には「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」という。 国民経済に著しい影響を及ぼす災害が起きたとき、政府が中央防災会議の意見を聴いたうえで、政令でその災害を「激甚災害」に指定する。 指定されると、国庫補助の率が引き上げられる[7]。
| 対象 | 通常の国庫補助 | 激甚指定後 |
|---|---|---|
| 公共土木施設等(河川・道路・公立学校・公営住宅など) | 概ね6割〜8割程度 | さらに1〜2割程度のかさ上げ |
| 農地・農業用施設・林道など | 2分の1〜3分の2 | 8割程度 |
| 中小企業者等 | — | 災害復旧貸付等の特例(信用保証の別枠化) |
表3: 激甚災害指定による国庫補助のかさ上げ[7]
平成30年7月豪雨も、この本激として指定された。指定の政令は平成30年7月27日に公布・施行されている[9]。 大洲市議会でも、同年9月の一般質問で「7月27日に公布施行された」と述べられている[15]。
これが効いたことは、市の答弁からも読み取れる。平成30年9月の時点で、市債発行は約42億1,000万円、 基金取り崩しは約18億5,000万円と見込まれていた。 だが副市長は同じ答弁で、激甚災害指定による補助率のかさ上げによって、 実際の発行額と取り崩し額は「現在の予算計上額よりも減額を見込める」と述べている[15]。
つまり、最初に構えた額よりは軽く済む見通しが、発災の2か月後にはもう立っていた。
先ほどの12年表に戻る。同じ豪雨で被災した3市を比べると、こうなる。
| 市 | 2018-2024の災害復旧費 | ピークの年度 | 災害前5年平均 |
|---|---|---|---|
| 宇和島市 | 約165.8億円 | 2018年度(40.4億円) | 1.57億円 |
| 西予市 | 約96.2億円 | 2019年度(29.1億円) | 4.43億円 |
| 大洲市 | 約51.3億円 | 2018年度(17.9億円) | 1.02億円 |
| 八幡浜市 | 約14.0億円 | 2018年度(3.3億円) | 0.64億円 |
表4: 被災4市の災害復旧費の比較(独自集計)[4]
大洲市は、愛媛県内で最も被災世帯数が多かった。それなのに、災害復旧費は3市の中でいちばん小さい。 矛盾しているように見えるが、そうではない。ものさしの性格である。
大洲の被害は、肱川の氾濫による家屋と事業所の浸水が中心だった。 浸水面積は約1,372ha、住家被害は約2,000棟を超え、事業所は1,037か所が被災している。 ところが「災害復旧費」という科目は、家を直す費用を数えない。
一方、宇和島市や西予市では土砂災害が広く発生し、農地や道路といった施設そのものが壊れた。 これは災害復旧費に真正面から入る。
同じ災害でも、被害の種類が違えば、決算のどの科目に出るかが違う。数字を比べるときは、そこを揃えて見ないといけない。
もうひとつ、進み方の違いも出ている。大洲と宇和島はピークが2018年度なのに対し、 西予市のピークは2019年度で1年遅い。着手から支払いまでの順番が、市によって違ったのだと思われる。
西予市については、災害前から災害復旧費が高い水準にあることも表から読み取れる。 2016年度は7.72億円で、この年の大洲市の5倍以上ある。豪雨以前から復旧すべきものが毎年出ていた、ということになる。
復旧が終われば、財政も元に戻る。そう思いたくなるが、そうではなかった。
図5: 災害復旧費(棒)と公債費(丸と線)。公債費は決算状況調から取れた7年分だけを打ち、線でつないだ。右端の点線は市が議会に示した推計
災害復旧費のピークは2018年度。公債費の底は2019年度。そこから、2つのグラフは入れ替わる。
理由は市議会で説明されている。令和6年12月、財政契約課長はこう答えた。 学校施設の耐震化事業や平成30年7月豪雨に伴う災害復旧・復興事業などで発行した市債の据置期間が終わり、 本格的な返済が始まっている、と[18]。
そして今後の見通しも示されている。令和5年度決算で約32億円だった公債費は、 令和7年度に約35億円、令和9年度に約38億円、令和10年度には約39億5,000万円近くまで上昇し、 それ以降は徐々に減少していくという推計である[18]。 ただしこれは令和6年12月に議会へ示された推計であって、実際に当初予算へ計上される額とは差が出る。 「大洲市の財政、数字で全体像をつかむ」で扱った当初予算の公債費は38億8,683万円で、推計より4億円ほど大きい。 推計の線と、予算書の実額は別のものとして読む必要がある。
工事の音が止まったあとに、返済のピークが来る。8年目のいまは、その坂を上っている途中にあたる。
なお、市債の多くは元利償還金の7割について交付税措置がある過疎対策事業債や合併特例債であること、 災害復旧事業債も交付税措置のある有利な起債であることが、あわせて説明されている。全額を市が自力で返すわけではない。
それでも、令和5年度決算の経常収支比率が県内の自治体で最下位になったことは、 市長自身が令和6年12月の議会で認めている[18]。
最後に、いちばん知りたいところを書く。
治水は、市の158億円とは別枠で動いてきた。国と県の事業である。
平成30年9月7日、国土交通省は河川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)の対象に肱川を選んだ[11]。 市議会の議員発言によれば、肱川では2018年度から2023年度を事業期間として、全体事業費に約290億円が見込まれていた。 同年12月15日に着工式が行われている。
大洲が激特事業を受けるのは、これが初めてではない。平成7年7月の水害でも採択され、 以後5年間、築堤や樋門の整備が行われていた。
この8年で、治水の側は次のように動いた。 堤防はできた。この災害のためにつくられた国の河川事務所も、令和6年3月29日に役目を終えて畳まれた[11]。 令和6年6月からは避難情報の出し方も変わっている[13]。
では、これで安心なのか。3つ、そうは言えない材料がある[17]。
1つめは、山鳥坂ダムである。 肱川水系河川整備計画の3本柱のひとつだが、令和3年5月、建設予定地に大規模な地滑りがあることが分かった。 ダムサイトの位置は当初の予定地から約400メートル上流に移動することになり、 完成予定時期は令和8年度から令和14年度へ延期された。
令和8年度は、2026年度である。本来なら、今年できているはずだった。それが2032年度になった。豪雨から14年後になる。 市議会は令和4年1月に特別委員会を開き、国と県に対して早期完成と予算確保を要望している。西予市・内子町と組んだ協議会でも、要望活動が続いている[14]。 令和6年2月には仮排水トンネル工事の起工式が行われた。本体工事はこれからである。
2つめは、内水対策だ。 堤防ができると、こんどは堤防の内側にたまる水が問題になる。川へ流れ出せなくなるからだ。 大洲市は令和4年3月に内水対策計画を策定した。目的は「床上浸水を可能な限り解消すること」である。
数字はこうなっている。対象52地区のうち、何らかの対策が必要と判断されたのが21地区。 うち白滝地区と東大洲地区は河川整備計画で対応するため、市が対策を進めるのは19地区。 そして令和5年度から9年度までの第1期計画に入っているのは、新谷町・西大洲・柚木・玉川・梁瀬の5地区である[17]。
19地区のうち5地区。8年たって、内水対策は4分の1あたりにいる。 しかもこの対策が想定しているのは「10年に一度の確率規模の降雨」への対応であって、平成30年7月豪雨のような雨ではない。
3つめは、目標そのものが上がったことである。 令和5年8月、肱川水系河川整備基本方針が見直された。 それまでは過去の降雨実績に基づいていたものを、気候変動の影響を考慮したものに変えたのである[12]。
この見直しで、基準地点である大洲の目標流量が変わった。 毎秒6,300立方メートルから、毎秒7,500立方メートルへ。約1.19倍である。
つまり、8年かけて造った堤防は、造っている途中でゴールの位置が動いた。 市議会の肱川流域治水対策特別委員会も、中間報告でこう述べている。 気候変動の影響による水災害の頻発化、激甚化は顕著であり、事前防災対策としてのさらなる対策が必要であることも事実である、と[17]。
「終わった」と言える地点は、いまのところ用意されていない。
正直に3つ挙げておく。
令和6年度の災害復旧費1.44億円の中身。平成30年豪雨の残りなのか、その後の台風被害なのか、科目からは分解できなかった。
大川コミュニティセンターの最終的な工程。令和5年12月の答弁(令和8年度設計・9年度工事)と、 令和8年3月の施政方針(令和8年度着工)が食い違っており、どちらが最終形かはこの記事を書いた時点では分からなかった。
公債費の12年連続の系列。決算状況調から取れたのは7年分で、残りの年度は取得できなかった。 図5で丸を打っているのはその7点だけである。
8年分を並べてみて、いちばん腑に落ちたのは、復旧には「順番」があるという当たり前のことだった。
計画から36か月遅れた企業用地も、26か月遅れた市営住宅も、8年目にようやく着工する大川コミュニティセンターも、遅れの中身は同じだった。 土地が要る。他の工事の完成を待つ必要がある。堤防が決まらないと、その内側の建物の位置も決まらない。
紙とデータでできる仕事は、むしろ前倒しで終わっている。88事業のうち19事業は予定より早かった。 だから「遅い」の一言では、たぶん何も説明できていない。
もうひとつ意外だったのは、お金の山が2つあることだ。 工事の山は2018年度に来て、2023年度には平時の水準まで下がった。 しかし返済の山は令和10年度、つまり2028年度に来る。工事が終わってから5年後である。
災害の費用は、被災した年に払い終わるものではない。 市が組んだ利子補給の事業に至っては、終了予定が2031年3月になっている。 発災から13年目まで続く事業が、88のリストの中にある。
そして、まだ建っていないものが確かにある。山鳥坂ダムは2032年度、内水対策は19地区のうち5地区、 大川のコミュニティセンターはこれから建つ。
被害の数字は8年前で止まっているが、事業の数字はまだ動いている。 それが、88行の表を最後まで並べてみて分かったことだった。
出典