大洲の自由研究 #15

大洲で一番多い仕事は、農業から医療・福祉に変わった。国勢調査9回40年分を全部並べる

1980年、大洲で農業をしていた人は8,058人いた。2020年、その数は1,900人になった。 いま一番多い仕事は医療、福祉である。3,497人。 病院、診療所、介護施設、保育所。ここで働く人が、いまの大洲でいちばん多い。 国勢調査は5年に1度、市区町村ごとに「どの産業で働いているか」を数えている。 1980年から2020年まで9回分ある。それを全部並べてみた。

読了目安 20分前後 公開: 2026/09/03 独自集計の表・グラフを含みます
メモう

1980年大洲で農業をしよった人は8,058人2020年には1,900人になっとる。

いちばん多い仕事は、いま医療、福祉なんよ。3,497人

国勢調査9回40年分を、ぜんぶ並べた。

合併があるので、数字は足し算でつないだ

平成17年(2005年)1月11日、大洲市・長浜町・肱川町・河辺村が合併して現在の大洲市になった。 だから国勢調査の数字をそのまま並べると、2005年のところで人数が跳ね上がる。 そこで2000年までは旧4市町村の数字を足して、1つの「いまの大洲市の範囲」として扱った[3][4][5][6][7]

数え方はすべて「15歳以上就業者数(男女計)」でそろえた。 1980年から1995年の表では、数の小さいマスが「***」と表示される。 これは0を意味する。内訳を足すと総数にぴったり一致することで確かめた。

なお2020年の統計表には、令和2年の数字を平成12年当時の市町村の境界に組み替えた行がある[1][2]。 これを使うと、いまの大洲市の中で旧4市町村がどうなっているかが分かる。

区域1980年2020年増減率
旧大洲市19,74715,501−21.5%
旧長浜町6,3522,604−59.0%
旧肱川町2,176930−57.3%
旧河辺村1,192223−81.3%
合計29,46719,258−34.6%

表1: 旧市町村別の就業者の増減(1980年→2020年)[1][3]

河辺は8割減っている。中心部の2割減とは、まるで別の出来事である。 「大洲市の就業者が3分の1減った」という一言では、この開きは見えない。

3部門の40年。減ったのは第1次と第2次だけだった

農林漁業を第1次、鉱業・建設業・製造業を第2次、それ以外を第3次と呼ぶ。 この3つの束ね方は40年間ほとんど変わっていないので、安心して比べられる。

総数第1次第2次第3次分類不能
198029,4678,7068,17912,56418
198529,0257,8278,34112,84116
199027,8136,0188,64513,1419
199527,0954,7248,58513,75630
200025,6473,7637,76114,08934
200523,8603,4085,95414,229269
201021,3792,5884,62813,372791
201520,8922,4314,47313,225763
202019,2582,1324,16812,480478

表2: 産業3部門別の15歳以上就業者数。2000年までは旧4市町村の合算[1][3][4][5][6][7][8][9][10]

産業3部門別の15歳以上就業者数(1980〜2020年・積み上げ) 0万人 1万人 2万人 3万人 第1次(農林漁業) 第2次(建設・製造など) 第3次(それ以外) 総数 29,467人 19,258人(-34.6%) 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020 いちばん上の薄い層は「分類不能の産業」。2000年までは旧4市町村の合算値なので、2005年の合併で線は切れない

図1: 産業3部門別就業者数の積み上げ。面の総面積が「働いている人の総数」。2005年の合併の前は旧4市町村の合計なので、線は切れない

産業3部門の構成比(各年の総数=100%) 1980 29.5% 42.6% 1985 27.0% 44.2% 1990 21.6% 47.2% 1995 17.4% 50.8% 2000 14.7% 54.9% 2005 14.3% 59.6% 2010 12.1% 62.5% 2015 11.6% 63.3% 2020 11.1% 64.8% ■ 第1次 ■ 第2次 ■ 第3次 ■ 分類不能 構成比は表2から独自計算(分類不能を含む総数が分母)。第3次の割合は42.6%→64.8%に増えたが、人数はほぼ同じ

図2: 産業3部門の構成比。構成比は表2から計算した(分類不能を含む総数が分母)

ここが一番おもしろかった。第3次産業は、人数ではほとんど変わっていない。 1980年が12,564人、2020年が12,480人。40年で84人しか減っていない。

一方で第1次は6,574人減り、第2次は4,011人減った。 就業者が1万人減ったのは、ほぼそっくり第1次と第2次の減少である。

第3次産業の割合が42.6%から64.8%へ大きく増えたように見えるのは、 第3次が増えたからではなく、他が減ったからだ。 絶対数と構成比を並べて見ないと、ここは必ず読み違える。

減った順番がある。第1次、第2次、そして第3次

3部門を5年ごとの増減で見ると、減った時期がきれいにずれている。

期間第1次第2次第3次
1980→1985−879+162+277
1985→1990−1,809+304+300
1990→1995−1,294−60+615
1995→2000−961−824+333
2000→2005−355−1,807+140
2005→2010−820−1,326−857
2010→2015−157−155−147
2015→2020−299−305−745

表3: 5年ごとの増減(表2から計算)

まず1980年代後半に第1次が崩れた。1985年から1990年の5年で1,809人減っている。 この表の中でいちばん大きな1マスである。

次に2000年代に第2次が崩れた。2000年の7,761人から2010年の4,628人へ、10年で3,133人。4割減である。

そして2005年を境に、第3次まで減り始めた。 第3次産業のピークは2005年の14,229人。そこから15年で1,749人減った。 農業が減り、工場が減り、その受け皿だった第3次産業も減り始めた。これがいまの局面だと思われる。

産業分類は2回変わっている。ここを知らないと必ず間違える

同じ「産業別就業者数」でも、数え方の枠組みが40年で2回大きく変わっている[15]

だから1980年の「サービス業 4,770人」と、2020年の「医療、福祉 3,497人」は直接比べられない。 1980年のサービス業には、いまの医療・福祉・教育・宿泊・生活関連サービスなどが全部入っている。

もう1つ、うっかり引っかかる落とし穴がある。卸売・小売業だ。 2000年までの分類名は「卸売・小売業,飲食店」で、飲食店が中に入っていた。 2002年の改定で飲食店が外に出て、「飲食店,宿泊業」という別の分類になった。

卸売・小売業飲食店・宿泊合計
20004,713(飲食店を含む)4,713
20053,9289584,886
20202,7888473,635

表4: 「卸売・小売業」の見かけの段差。分類の変更で800人近く減ったように見える

2000年の4,713人から2005年の3,928人へ、800人近く減ったように見える。 だが飲食店を足し戻すと4,886人で、むしろ増えている。 この「減少」は実態ではなく、分類が変わっただけである。

改定をまたいでも安心して比べられるのは、3部門のほかでは 農業・漁業・建設業・製造業・公務あたりに限られる。その5つを並べておく。

農業漁業建設業製造業公務
19808,0583843,4884,667871
19857,1563863,1385,176951
19905,4603763,2805,350983
19954,2563323,4555,1041,012
20003,3272893,4654,243995
20053,0982042,9113,033944
20102,2211592,0642,559789
20152,1771081,9282,538710
20201,900871,8692,293670

表5: 分類改定をまたいで比べられる主要5産業。2010年以降の農業は「農業,林業」の内数(林業は2010年208人、2015年146人、2020年145人)

分類改定をまたいで比べられる主要5産業(1980〜2020年) 0人 2,000人 4,000人 6,000人 8,000人 農業 1,900人 製造業 2,293人 建設業 1,869人 公務 670人 漁業 87人 製造業のピーク 1990年 5,350人 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020 2010年以降の農業は「農業,林業」の内数(林業は2010年208人・2015年146人・2020年145人)

図3: 主要5産業の40年。製造業は1990年の5,350人がピーク

製造業のピークは1990年の5,350人。そこから2020年までに57%減った。 建設業は2000年まで3,400人台を保ち、そこから10年で4割減った。 漁業は384人から87人へ。4分の1以下になっている。

医療・福祉だけが増えている(2005〜2020年) 2,000人 2,500人 3,000人 3,500人 4,000人 2,882 3,475 3,497 医療,福祉 3,928 2,788 卸売業,小売業 製造業 2005 2010 2015 2020 卸売業,小売業は本文に数字のある2005年と2020年の2点を点線で結んだ。2005年より前は分類が違い接続できない

図4: 医療・福祉だけが増えている。卸売業,小売業は本文に数字のある2005年と2020年を直線で結んだ(2005年より前は分類が違い接続できない)

なんでそうなったのか。会議録に当時の数字が残っていた

第2次産業が最も激しく減ったのは2000年から2010年である。何があったのか。 大洲市議会の会議録を調べた。当時の答弁に、生の数字が残っていた。

ハローワーク大洲管内の有効求人倍率について、市はこう答弁している[16]

平成19年4月が0.75倍、20年4月が0.61倍、21年4月が0.39倍と大きな落ち込みが続いている状況でございます。(平成21年6月定例会)

同じ年の12月定例会では、3月末に0.32倍まで落ちたと市長が述べている[17]。 2008年秋のリーマンショックを挟んで、求人が2年でほぼ半分になった。 市は別の答弁で、合併以降はおおむね0.6から0.8倍前後で推移していたと述べている。 それと比べると、明らかに異常な水準だった。

工場そのものも失われている。平成27年3月定例会の答弁にこうある[18]

東大洲地区のパナソニック大洲工場跡地につきましては、平成22年3月末の閉鎖以来、同跡地に対しまして企業誘致を積極的に行ってまいりました

2010年3月末の閉鎖。国勢調査でいえば2005年から2010年にかけての、 第2次産業が1,326人減った時期にぴたりと重なる。 (この工場の歴史そのものは別の記事で扱っているので、ここでは数字の重なりだけを書いておく)

市が手をこまねいていたわけではない。跡地の閉鎖と同じ2010年4月に産業振興課を新設し、企業誘致に動いている。 平成26年3月定例会の答弁によれば、首都圏・近畿・九州など約100社を訪問したという[19]。 跡地には2014年4月、運輸・倉庫業の会社が入った[18]

ただし数字の上では、第2次産業は2010年の4,628人から2020年の4,168人へ、さらに減っている。 誘致は流れを止めるところまでは至っていない、と読むのが正直なところだと思う。

それって他ではどうなの

2020年の国勢調査で、近隣と並べてみる[1]

産業3部門の構成比(2020年)。大洲だけ第1次が低い 大洲市 11.1% 21.6% 64.8% 八幡浜市 21.2% 18.1% 59.0% 西予市 18.7% 16.5% 60.6% 内子町 19.8% 23.2% 56.4% 愛媛県 6.8% 23.3% 67.3% 全国 23.0% 70.6% ■ 第1次 ■ 第2次 ■ 第3次 ■ 分類不能 令和2年国勢調査から。構成比は分類不能を含む総数が分母

図5: 産業3部門の構成比の比較(2020年)。大洲だけ第1次が低い

市町就業者総数第1次第2次第3次
大洲市19,25811.1%21.6%64.8%
八幡浜市15,66721.2%18.1%59.0%
西予市16,74018.7%16.5%60.6%
内子町7,90819.8%23.2%56.4%
愛媛県601,3026.8%23.3%67.3%
全国57,643,2253.4%23.0%70.6%

表6: 近隣市町との比較(2020年)。構成比は分類不能を含む総数が分母[1]

大洲は、近隣の中で第1次産業の比率がいちばん低い。 八幡浜(みかんと水産)、西予(農業)、内子(農業)はいずれも2割前後。大洲は11.1%しかない。

一方で第2次産業は21.6%で、愛媛県平均の23.3%、全国の23.0%に近い。 「大洲は農村」というイメージと、数字はややずれている。

八幡浜と比べると差がはっきりする。八幡浜の漁業就業者は149人、大洲は87人。 第1次の中身も違う。同じ南予でも、食べ方が違う。

で、結局どうなったのか。大洲は人を吸い込む側だった

「大洲は松山のベッドタウンになりつつある」と聞くことがある。数字で確かめた。

国勢調査には「従業地・通学地集計」がある。 どこに住んでいる人が、どこへ働きに行っているかが市区町村ごとに分かる[11][12]

2020年、大洲市に住む15歳以上就業者19,258人のうち、 自分の市内で働く人が15,557人(うち自宅で従業3,177人)。 他の市区町村で働く人は3,357人(うち県内3,214人、他県64人)、従業地「不詳」が344人だった。 8割は大洲の中で働いている。

大洲市から出ていく通勤(左)と、大洲市へ入ってくる通勤(右)(2020年) 大洲市 市内で働く15,557人 内子町 857人 八幡浜市 847人 西予市 496人 松山市 406人 伊方町 164人 伊予市 128人 宇和島市 127人 市外へ出ていく合計 3,278人 内子町 1,452人 八幡浜市 782人 西予市 701人 松山市 472人 伊予市 241人 宇和島市 155人 市外から入ってくる合計 4,167人 入ってくる人が889人多い。大洲は周りから人を吸い込む側の町である 令和2年国勢調査 従業地・通学地による集計から。矢印の太さは人数に比例。人数の小さい通勤先は省略した

図6: 大洲市民の通勤先(左向き)と、大洲へ通ってくる人(右向き)。矢印の太さは人数に比例。入ってくる合計のほうが多い

松山市への通勤者は406人。大洲に住む就業者の2.1%でしかない。 内子や八幡浜のほうがずっと多い。ベッドタウン説は、少なくとも通勤の数字では支えられない。

逆向きも見た。大洲市外から通ってくる15歳以上就業者は4,167人。 大洲から市外へ出ていく3,278人より、889人多い。

結果として、大洲市を職場とする15歳以上就業者は20,147人になる。 住んでいる就業者19,258人より889人多い。

大洲は、周りから人を吸い込む側の町である。これは正直、意外だった。 就業者が40年で1万人減ってなお、南予の中では働きに来られる側に立っている。

同じ町を2つの調査で数えると、農業が5倍違う

国勢調査は「住んでいる人がどこで働くか」を数える。 経済センサスは「市内にどんな事業所があるか」を数える。見ているものが違う。

令和3年経済センサス‐活動調査(2021年6月1日現在)で、大洲市は2,120事業所・従業者16,902人だった[13]。 産業別に多い順で並べる。

産業事業所数従業者数
全産業(公務を除く)2,12016,902
卸売業,小売業6023,748
宿泊業,飲食サービス業2441,398
生活関連サービス業,娯楽業211615
建設業2051,556
医療,福祉1983,197
サービス業(他に分類されないもの)153907
製造業1322,357
不動産業,物品賃貸業95264
運輸業,郵便業63969
学術研究,専門・技術サービス業60335
教育,学習支援業44232
金融業,保険業35354
農林漁業36446
複合サービス事業34471
情報通信業517
電気・ガス・熱供給・水道業336

表7: 令和3年経済センサス‐活動調査(2021年6月1日現在)の大洲市[13]

事業所の数がいちばん多いのは卸売業,小売業の602。大洲の商店・スーパー・卸である。 だが1事業所あたりの人数を出すと、順番が変わる。 卸売・小売は6.2人、製造業は17.9人、医療・福祉は16.1人。 大洲でまとまった人数が働く「大きい職場」は、工場と病院・施設である。

そしてもう1つ。農林漁業が446人しかいない。 国勢調査では第1次産業は2,132人だった。同じ町の、ほぼ同じ時期の数字が5倍近く違う。

これは統計の間違いではない。経済センサスは調査の対象が違う。 総務省の説明によれば、この調査は「農業,林業」と「漁業」に属する 個人経営の事業所を対象から外している[14]。 家族でやっている農家は、経済センサスには出てこない。

同じ「大洲で働く人」を数えても、何を単位に数えるかで答えが変わる。 どちらが正しいという話ではなく、片方だけを見て語ると間違える、ということだと思う。

数えられなかったもの

正直に書いておく。調べても分からなかったことが3つある。

1970年(昭和45年)と1975年(昭和50年)は取れなかった。 e-Statに公開されている国勢調査のデータベースは、市区町村別の産業別就業者数については 昭和55年(1980年)が最も古い。それ以前は全国編・都道府県編の集計しか電子化されていなかった。 だからこの記事は「50年」ではなく「40年」である。図書館の郷土資料までは当たっていない。

「分類不能の産業」の増え方も、理由を特定できなかった。 1980年は18人だったものが、2010年には791人、2020年でも478人ある。 産業が分からない人が実際に増えたというより、調査票に書かない人が増えたのだろうと思われる。ここは推測である。 ただし総務省自身もこの問題を認識していて、令和2年国勢調査については 「不詳補完結果」という別の集計を後から公表している。

1980年と1985年のあいだにも分類名の変更がある。 1980年は「卸売業,小売業」、1985年以降は「卸売・小売業,飲食店」と表記が変わる。 ただし数字に大きな段差はなかったので(4,827人→4,683人)、そのまま並べた。

並べてみて

40年の数字を並べてみて、いちばん腑に落ちなかったのは第3次産業の動きである。

農業が減り、工場が減っていくあいだ、第3次産業はずっと増えていた。 受け皿として機能していた。だから就業者の減り方は、人口の減り方より緩やかだった。 その受け皿が、2005年を最後に増えるのをやめた。

医療・福祉だけは2005年の2,882人から2020年の3,497人へ増えている。 いま大洲で唯一まとまって増えている仕事が、人の世話をする仕事だというのは、たぶん偶然ではない。 高齢化がそのまま仕事になっている。

ただ、それも人が減れば止まる。 2015年から2020年の伸びは3,475人から3,497人で、22人しかない。 40年並べた最後の1マスが、そう言っている。

出典

  1. 令和2年国勢調査 就業状態等基本集計 第5-3表/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(2020年の大洲市・愛媛県・全国、および旧4市町村に組み替えた産業大分類別就業者数)
  2. 令和2年国勢調査 就業状態等基本集計 データセット一覧/e-Stat e-stat.go.jp(統計表の所在)
  3. 昭和55年国勢調査 表016/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(1980年の旧大洲市19,747人・長浜町6,352人・肱川町2,176人・河辺村1,192人)
  4. 昭和60年国勢調査 表00501/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(1985年の旧4市町村計29,025人)
  5. 平成2年国勢調査 表00501/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(1990年の旧4市町村計27,813人、製造業5,350人)
  6. 平成7年国勢調査 表00501/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(1995年の旧4市町村計27,095人)
  7. 平成12年国勢調査 第2次基本集計 愛媛県 第6表/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(2000年の旧4市町村計25,647人)
  8. 平成17年国勢調査 表00501/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(2005年の大洲市23,860人。19区分の新分類に切り替わった年)
  9. 平成22年国勢調査 産業等基本集計 表00520/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(2010年の大洲市21,379人)
  10. 平成27年国勢調査 就業状態等基本集計 00630/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(2015年の大洲市20,892人、医療・福祉3,475人)
  11. 令和2年国勢調査 従業地・通学地による集計 表3/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(大洲市民の通勤先。松山市406人、内子町857人、八幡浜市847人)
  12. 令和2年国勢調査 従業地・通学地による集計 表4/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(大洲市への流入4,167人、うち内子町1,452人)
  13. 令和3年経済センサス‐活動調査 産業横断的集計/総務省・経済産業省 e-stat.go.jp(大洲市2,120事業所・従業者16,902人、農林漁業446人)
  14. 令和3年経済センサス‐活動調査の概要/総務省統計局 stat.go.jp(個人経営の農業・林業・漁業の事業所を対象から除外していることの確認)
  15. 国勢調査 時系列データ 就業者の産業・職業/総務省統計局・e-Stat e-stat.go.jp(日本標準産業分類が平成14年3月・平成19年11月に改定されたことの確認)
  16. 平成21年6月定例会 会議録2日目/大洲市議会 city.ozu.ehime.jp(有効求人倍率0.75倍→0.61倍→0.39倍の答弁)
  17. 平成21年12月定例会 会議録2日目/大洲市議会 city.ozu.ehime.jp(3月末に0.32倍、10月末に0.52倍まで回復したとの市長発言)
  18. 平成27年3月定例会 会議録2日目/大洲市議会 city.ozu.ehime.jp(工場跡地が平成22年3月末に閉鎖、平成26年4月に運輸・倉庫業者と賃貸借契約)
  19. 平成26年3月定例会 会議録3日目/大洲市議会 city.ozu.ehime.jp(平成22年4月に産業振興課を新設し、市外企業や関係団体約100社を訪問したとの答弁)
この記事は「大洲の自由研究」シリーズの15本目です。通常の大洲ノートより 長く、専門的な内容を含みます。シリーズ一覧はこちら