大洲城の城下町として始まった大洲の、大まかな歴史をたどります。
大洲城のルーツは、元弘元年(1331年)に宇都宮豊房が地蔵ヶ嶽城を築いたことに始まると伝えられています。 肱川が大きく蛇行する地形を活かした、天然の要害でした。
戦国時代末期には藤堂高虎、脇坂安治といった名だたる武将が城を改修し、現在の大洲城の骨格が整えられました。 元和3年(1617年)に加藤貞泰が入城してからは、明治維新まで12代・約250年にわたり加藤家が大洲藩を治めます。 天守をはじめとする城の姿も、この加藤家統治の時代におおむね現在の形になりました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で大洲藩は廃止され、大洲県を経て愛媛県の一部になります。 天守は明治期に取り壊されましたが、台所櫓・高欄櫓など一部の櫓は江戸時代の姿のまま現存し、今も国の重要文化財に指定されています。 その後、町村合併を重ねながら、昭和の時代に「大洲市」としての市制が敷かれました。
2005年(平成17年)1月11日、大洲市・長浜町・肱川町・河辺村の1市2町1村が合併し、現在の大洲市が誕生しました。 前年の2004年には、失われていた天守が木造で復元完成しています。
2017年頃からは、城下町に残る歴史的建造物を活かした「歴史まちづくり」が本格化しました。 空き家だった町家がホテルや店舗として再生され、大洲城そのものに泊まれる「キャッスルステイ」も生まれています。 人口減少・空き家増加という課題に、歴史的資源を活かしたまちづくりで応えようとしているのが、いまの大洲です。