大洲の自由研究 #02

平成の大合併、大洲は何を得て何を失ったか

2005年1月11日、大洲市・長浜町・肱川町・河辺村が1つになった。あれから21年。 「合併してよかったのか」という問いに、感想ではなく数字で答えたくて、 市が公開している住民基本台帳21年分を全部ダウンロードして、旧市町村ごとに集計し直してみた。 出てきたのは、かなりはっきりした非対称だった。

読了目安 25~30分 公開: 2026/08/19 独自集計データを含みます
メモう

2005年1月11日に、大洲市長浜町肱川町河辺村が1つになったんよ。

住民基本台帳を21年分、旧市町村ごとに集計し直してみた。

中心は2割減、河辺6割減。同じ市の中で、減り方がまるでちがう。

「よかったか」を、感想ではなく数字で聞く

以前、合併直前に発行された広報誌「きらめき大洲21」2005年1月号を読んだ記事を書いた[1]

旧・大洲市としての最終号で、市長と議長の新年のあいさつが載っている、静かな号だった。あの記事を書いたあと、ずっと引っかかっていたことがある。

「合併してよかったのか」という問いに対して、世の中に出回っている答えのほとんどが、誰かの実感か、制度論のどちらかだということだ。

「役場が遠くなった」という声はよく聞く。「行財政基盤が強化された」という説明もよく読む。

でも、その2つをつなぐ数字を、大洲市について具体的に示したものを見つけられなかった。

そこで今回は、遠回りをすることにした。大洲市は住民基本台帳にもとづく人口・世帯数を、毎月、地区ごとの内訳つきでエクセルファイルで公開している[2]

合併した2005年から2025年まで、各年12月31日時点のファイルを21年分ダウンロードして、地区の数字を旧市町村の単位に足し直せば、「旧・大洲市エリア」「旧・長浜町エリア」「旧・肱川町エリア」「旧・河辺村エリア」がそれぞれ21年間でどう変化したかが分かるはずだ。

結論から書くと、それはほぼ3倍の差だった。詳しくは第5章と第6章に書く。

その前に、そもそも平成の大合併とはどういう制度だったのかを、お金の仕組みから整理しておきたい。

この記事のいちばん重要な部分は、実は「人口が減った」という話ではなく、「合併と一緒についてきたお金は、最初から期限つきだった」という話のほうだからだ。

平成の大合併とは、そもそも何だったのか

平成11年(1999年)、地方分権推進委員会の勧告をきっかけに、国は全国規模で市町村合併を推進する方針を打ち出した。

総務省自身の資料によれば、平成11年3月31日に3,232あった全国の市町村は、平成22年3月31日には1,727まで減った

差し引き1,505の市町村が地図から消えた計算になる[3]

国が合併を後押しした理由は、建前としては「行財政基盤の強化」だった。

地方税収の伸びが鈍る一方で、人件費・扶助費・公債費といった義務的な支出は増え続けている。

小さな自治体ほど、専門部署も専門職員も置けないまま立ち行かなくなる——という危機感が背景にあった。

合併して規模を大きくすれば、専門性のある職員を配置でき、国から地方へ権限や仕事を移す「地方分権」の受け皿にもなれる、という理屈だ。

愛媛県は、この流れが全国でもとりわけ徹底された県だった。県の市町振興課がまとめた検証資料によると、平成15年4月の新居浜市による別子山村の編入から始まった県内の合併は、平成17年8月の宇和島市の合併で一段落し、70あった市町村が20市町(11市9町)まで減った

減少率は71.4%で、全国平均の43.6%を大きく上回り、都道府県別では全国3位に入る[4]

大洲市の合併は、この「合併先進県」と呼ばれた愛媛の流れの、まさに真ん中にある出来事だった。

お金の仕組み。特例債と算定替という2つの飴

合併を制度として理解するうえで、絶対に外せないのが2つの優遇措置だ。

この2つを知らないまま「合併したら交付税が増えた/減った」という話を聞いても、たぶん意味が取れない。

飴 その1

合併特例債

合併に伴って必要になる建設事業について、市が借金(地方債)をすると、その返済額の約7割を国が地方交付税で面倒を見てくれる仕組み。新しい庁舎や道路、施設の整備に使われた。ただし借金であることに変わりはなく、残り3割は市が返す。

飴 その2

合併算定替

合併後の一定期間、「合併しなかったとみなして、旧市町村ごとに計算した交付税の合計額」を保障する仕組み。小さな自治体ほど1人あたりの交付税が手厚いため、単純合算のほうが金額は大きくなる。合併後10年間は満額、その後5年かけて段階的に減らし、15年目で通常の計算に戻る。

ポイントは、どちらも恒久的な優遇ではないということに尽きる。

特例債は借金なので、いずれ返す時期(償還のピーク)が来る。算定替は最初から「10年満額+5年かけて逓減」という設計で、15年目には合併しなかった場合と同じ計算に戻る。

つまり合併直後の財政の余裕は、制度が意図的に作り出した時限的なボーナスだったということになる。

福島大学の今井照教授(当時)は、全国町村会に寄せた論考のなかで、この2つが同時に効いてくる時期を早い段階から警告していた。

合併から15年後には交付税が少なくとも3割程度減額され、しかもその時期は合併特例債の償還ピークと重なる、というのがその指摘だ[5]

飴が切れるタイミングと、借金の返済がいちばん重くなるタイミングが、制度設計上、ほぼ同じ時期に来る。

大洲市の合併は2005年1月なので、15年目は2020年前後にあたる。

普通交付税の額 合併算定替(旧4市町村ごとに計算した合計額を保障) この差額が「合併したから増えた分」 一本算定(合併後の1市として計算した本来の額) 合併(2005年) 10年目 15年目(2020年ごろ) この5年で段階的に縮小 + 合併特例債の償還ピークが重なる

図1: 合併算定替の逓減イメージ。総務省・全国町村会の資料をもとに、この記事用に作成した概念図(金額の目盛りは実額ではない)

大洲の合併は「対等」だったのか

2005年1月11日、大洲市・長浜町・肱川町・河辺村の1市2町1村が合併して、新しい「大洲市」が誕生した。

方式は新設合併。4つの自治体がいったんすべて解散し、まったく新しい大洲市として生まれ変わる形だ。

旧・長浜町や旧・肱川町が大洲市に吸収された(編入合併)わけではなく、法律上は対等な立場での合併ということになる。

ただ、規模はまったく対等ではなかった。今回集計した住民基本台帳の2005年12月31日時点の数字で見ると、新・大洲市の人口51,841人のうち、旧・大洲市エリアが38,772人。

全体の74.8%を占めている。旧・長浜町エリアが8,904人(17.2%)、旧・肱川町エリアが2,966人(5.7%)、旧・河辺村エリアが1,199人(2.3%)。

旧市町村2005年末の人口構成比合併方式上の立場
旧・大洲市38,772人74.8%対等(新設合併)
旧・長浜町8,904人17.2%対等(新設合併)
旧・肱川町2,966人5.7%対等(新設合併)
旧・河辺村1,199人2.3%対等(新設合併)
新・大洲市51,841人100%

河辺村と大洲市では、人口が32倍違う。法律上の「対等」と、実際の力関係としての「対等」は別物だということが、この構成比だけでもよく分かる。

市役所の本庁がどこに置かれるか、市議会の議席がどう配分されるか、といった具体的な場面では、この74.8%という数字がそのまま効いてくることになる。

21年分の住民基本台帳を、旧市町村別に集計してみた

ここからが今回の自由研究の本題だ。大洲市が公開している住民基本台帳の人口・世帯数のエクセルファイルには、市全体の数字だけでなく、地区ごとの内訳が載っている。

しかもその内訳は、旧・大洲市/旧・長浜町/旧・肱川町/旧・河辺村という4つのブロックにきれいに分かれた形で集計されている。

合併から21年経っても、市はこの4つの区分で人口を管理し続けているということだ。

2005年から2025年までの各年12月31日時点のファイルを21本ダウンロードし、この4ブロックの小計を年ごとに並べ直した。

手作業ではなく、ファイルを機械的に読み込んで「4ブロックの合計が市全体の人口と一致するか」を毎年チェックしながら抽出しているので、拾い間違いは起きていないはずだ。結果が次の表になる。

年末時点旧・大洲市旧・長浜町旧・肱川町旧・河辺村市全体
2005年38,7728,9042,9661,19951,841
2008年37,6528,3342,8001,03549,821
2011年36,5757,7122,61491647,817
2014年35,8367,2312,41882646,311
2017年34,6476,7182,20469744,266
2018年34,1346,5252,06567643,400
2021年32,8775,9531,88658441,300
2025年30,8215,2201,68347438,198

表は3年おきに間引いて載せているが、実際には21年すべてのデータを取っている。

年ごとの動きが分かるように、2005年を100としたグラフにしたのが次の図だ。

100 80 60 40 2018年 西日本豪雨 旧大洲市 79.5 旧長浜町 58.6 旧肱川町 56.7 旧河辺村 39.5 2005 2010 2015 2020 2025 各年12月31日時点・2005年=100

図2: 旧市町村別の人口推移(2005年=100)。大洲市「住民基本台帳の人口世帯数」各年12月31日版をもとに、OZU LIFE MEMOが独自に集計・作図

中心は2割減、河辺は6割減。数字が示す非対称

グラフを見た瞬間の率直な感想は、「こんなに開くのか」だった。

同じ市の中の話とは思えない。21年間の減少率を並べると、次のようになる。

エリア2005年末2025年末減少数減少率
旧・大洲市38,77230,821-7,951-20.5%
旧・長浜町8,9045,220-3,684-41.4%
旧・肱川町2,9661,683-1,283-43.3%
旧・河辺村1,199474-725-60.5%
市全体51,84138,198-13,643-26.3%

旧・河辺村エリアの-60.5%という数字は、旧・大洲市エリアの-20.5%のちょうど3倍近い。

21年で人口が4割になったということは、村だった当時に住んでいた5人のうち3人が、もうそこにいないということだ。

実数で言えば1,199人が474人。集落の単位で言えば、いくつかの集落がまるごと消えてもおかしくない規模の減り方になる。

注意しておきたいのは、この非対称そのものは合併のせいだと断定できないということだ。

山間部や半島部の人口が中心市街地より速く減るのは、合併していない自治体でも全国的に起きている現象で、地形と交通と産業構造が主な原因だと考えるほうが自然だろう。

実際、河辺村や肱川町は合併前から過疎地域に指定されていた。仮に合併せず単独で存続していたとしても、人口が増えていたとは考えにくい。

それでも、この数字に意味があると思うのは、「合併の目的が何だったのか」と突き合わせたときに、評価が変わってくるからだ。

合併の建前は行財政基盤の強化であり、小さな自治体だけでは維持できないサービスを、大きくなることで支えるという話だった。

21年経って、その「支えられる側」だったはずのエリアが、支える側の3倍の速さで縮んでいる。

合併が人口減少を止める仕組みではなかったことは確かだし、少なくとも「合併したから周辺部の暮らしが守られた」とは、この数字からは言いにくい。

2009年の住民意識調査は、何を先取りしていたか

ここで、松山大学の市川虎彦教授による住民意識調査を見てみたい。

「20年を経た『平成の大合併』の評価と教訓」という論考に、大洲市を対象にした調査結果が紹介されている[6]

調査の設計はこうだ。選挙人名簿から系統標本抽出した20歳以上の男女1,500名に対する郵送調査で、期間は2009年7月10日から31日

有効回答は655票、回収率は43.6%。合併について「よくなかった」と答えた人の割合が、住んでいる地域によってはっきり違っていた。

居住エリア「よくなかった」と回答した割合
旧・大洲市8.8%
旧・長浜町20.2%
旧・肱川町・旧・河辺村44.7%
全体13.7%

ここで大事な補足を1つ入れておきたい。この調査は2009年、つまり合併から4年半しか経っていない時点のものだ。

「20年を経た」という論考のタイトルから、つい最近の調査だと読んでしまいそうになるが、数字自体は2009年のものである。

この点は、引用するときに誤解が生じやすいところなので、正確に押さえておきたい。

そのうえで面白いのは、2009年時点の「感覚」の順番と、2025年までの「実際の人口減少率」の順番が、きれいに一致していることだ。

不満が最も強かった旧・肱川町/旧・河辺村エリア(44.7%)は、その後の16年間で最も速く人口を失った。

次に不満が強かった旧・長浜町(20.2%)が2番目に速く減り、不満が最も小さかった旧・大洲市(8.8%)の減り方が最も緩やかだった。

2009年に周辺部の住民が感じていた「よくなかった」という実感は、 愚痴でも思い込みでもなく、その後16年かけて実際に起きたことの、かなり正確な予報だったことになる。 住民の肌感覚が統計に先行していた事例として、これはかなり示唆的だと思う。

市川教授の論考には、もう1つ印象的なエピソードが載っている。

2018年の西日本豪雨のとき、旧・肱川町にある道の駅「清流の里ひじかわ」の駅長が、「道の駅の復興は、市町村合併していない方が、短時間にできたのではないか」と語ったという話だ。

災害対応のような緊急の判断でも、本庁への確認と承認の手続きを挟む分だけ、現場の動きは遅くなる。

合併で役場が遠くなるという制度論は、こういう具体的な現場の声になったときに、初めて重さを持つ。

豪雨の年に何が起きたか。人口動態で確かめる

せっかく21年分のデータが手元にあるので、もう1つ確かめてみたいことがあった。

2018年7月の西日本豪雨は、大洲市の人口にどれくらいのインパクトを与えたのか、という点だ。年ごとの減少数を並べると、こうなる。

期間市全体の減少数うち旧・肱川町の減少数旧・肱川町の減少率
2015年→2016年-667-68-2.9%
2016年→2017年-606-78-3.4%
2017年→2018年-866-139-6.3%
2018年→2019年-694-78-3.8%

市全体で見ると、2018年の1年間の減少数は866人で、前後の年(600人台)より明確に大きい。

そして旧・肱川町エリアの落ち込みが際立っている。前年比-6.3%は、前後の年の約2倍の減少率だ。

鹿野川ダムがあり、肱川本川に沿って集落が並ぶこのエリアが、豪雨のあと最も人を失ったことが、数字としてはっきり出ている。

グラフ(図2)で緑の線が2018年のところで一段カクンと落ちているのは、これが理由だ。

ちなみに、市が策定した第2期総合戦略の振り返りでも、 「2017年には一時的に緩やかな人口減少に転じたものの、2018年7月豪雨災害に伴う転出者数の増加や 出生数の減少により、その後の人口減少が顕著になった」と記されている[7]。 市自身の認識と、今回集計した数字は矛盾していない。

飴が切れたあと。交付税はどう減ったのか

第3章で見た「2つの飴」が切れる時期は、大洲市の場合2020年前後だった。 では実際に、どれくらいのお金が失われたのか。

大洲市単独の減少額を明示した公開資料は、今回の調査では見つけられなかった。

ただ、愛媛県全体の見込みなら公式に残っている。愛媛県議会が2013年7月2日に可決した「合併算定替終了後の市町の地方交付税確保を求める意見書」には、特例期間終了後に県内市町全体で約298億円の普通交付税の減額が見込まれると明記されている[8]

県議会が国に対して、算定方法の見直しを求める意見書を出さざるを得ないほどの規模だった、ということになる。

日本政策投資銀行は2013年11月のレポートで、この問題を全国規模で試算し、タイトルにそのまま「失われる交付税9千億円、迫り来る公共施設老朽化」と掲げている[9]

合併算定替の終了で全国の合併市町村が失う交付税と、合併時に整備した公共施設が一斉に更新時期を迎える問題を、セットで扱ったレポートだ。

つまり「飴が切れる」と「建てたものの修繕費が来る」は、全国どこでも同時に来る設計になっていた。

現在の大洲市の財政がどうなっているかというと、2026年8月時点で公表されている愛媛県の資料では、大洲市の経常収支比率は99.7%

これは県内20市町のうち19位、つまり下から2番目の水準だ[10]

令和7年度当初予算では、歳入308億7,000万円のうち地方交付税が111億5,468万円(36.2%)を占める一方、市税は48億6,855万円(15.8%)にとどまり、自主財源比率は33.3%[11]

交付税への依存度が高い構造そのものは、合併から21年経っても変わっていない。

財政の詳しい話は、このシリーズの別の記事(大洲市の財政、数字で全体像をつかむ)で扱う。

誤解のないように書いておくと、経常収支比率99.7%は「破綻寸前」を意味する数字ではない。 全国の市町村平均も93%台まで上がっており、90%台の自治体が6割を超えている。 ただ、合併の目的が「行財政基盤の強化」だったことを思い出すと、 21年後にこの位置にいるという事実は、率直に受け止めておく必要があると思う。

全国の検証は「効果は誤差の範囲」と言っている

大洲だけを見ていると視野が狭くなるので、全国的な検証がどう評価しているかも確認しておきたい。

前出の今井照教授は、総務省の研究会が示した「合併の財政効果は10年後に約1兆8千億円」という試算に対し、「地方財政計画を分母とすれば約2%にすぎず、誤差の範囲内」と評価している[5]

1兆8千億円という金額だけを聞くと巨大な効果に思えるが、地方財政全体の規模から見ればそれほど大きな比率ではない、という指摘だ。

さらに今井教授は、効率化の方法そのものについても踏み込んでいる。

行政の効率を上げようとすれば、結局は「中心部に投資を集中し、周縁部を切り捨てていく」ことにならざるを得ない、という趣旨の指摘だ。

これは制度批判というより、効率化という目標が構造的に持っている性質の話だと思う。

そして、今回の集計で出た「中心部-20.5%、河辺-60.5%」という数字は、まさにその構造が21年かけて可視化されたもの、という読み方もできる。

市川教授の論考には、愛媛県内の他の合併事例も出てくる。松山市に合併した北条市・中島町では、市職員の減少で飲食店街が衰退し、松山市の業者との競争激化で地元建設業者の廃業が続いた。

伊予市に合併した旧・双海町では、道の駅「ふたみシーサイド公園」の管理者が変更されたことで、地元の第三セクター「有限会社シーサイドふたみ」が解散に追い込まれた。

西予市では、郡境を越えた広域合併の結果、旧・三瓶町の消防が八幡浜消防署の管轄に留まるというねじれた状態が続いている[6]

いずれも、合併の「周辺部になった側」で起きた出来事という点で共通している。

では、得たものは何だったのか

ここまで失ったものの話が続いたので、得たものの側も、できるだけ具体的に整理しておきたい。

総務省や全国町村会などの検証で共通して挙げられているメリットは、大きく3つある。

得たもの 1

専門部署・専門職員の配置

人口1,200人の村では、法務・情報システム・都市計画といった分野に専任職員を置くことは現実的に不可能だった。合併によって、市の規模で専門職を抱えられるようになった。

得たもの 2

公共施設の重複整備の回避

隣り合う自治体がそれぞれ似た施設を建てる、という無駄を避けられるようになった。ただし裏を返せば、統廃合される側にとっては施設が遠くなることでもある。

得たもの 3

肱川流域を一体で扱えるようになった

大洲市にとってはこれが最も実質的だと思う。肱川という1つの水系の中流から河口までが、行政区域の境目なしに1つの市の中に入った。治水・防災・観光を流域単位で計画できる。

3つ目の「肱川流域の一体化」は、大洲市に固有の、かなり大きな意味を持つと思う。

合併前は、鹿野川ダムのある肱川町、河口の長浜町、中流の大洲市が別々の自治体だった。

流域を上流から河口まで1つの行政主体が持つ形になったことで、2018年の豪雨以降に進んでいる肱川緊急治水対策のような、流域全体を対象とする事業を市として一体的に受け止めることができている。

これは合併がなければ、3つの自治体の調整から始めなければならなかったはずだ。

ただし、ここにも非対称がある。流域を一体で扱えるようになったことで最も恩恵を受けるのは、人口と資産が集中する中流の大洲市街地だ。

上流部の集落にとって、「流域として一体的に守られる」ことが、自分の集落が守られることと同じ意味になるとは限らない。得たものの側にも、誰にとっての利益なのかという問いは残る。

調べても分からなかったこと

正直に書いておきたいことが、いくつかある。

1つ目。大洲市が合併算定替の終了によって実際にいくら交付税を失ったのか、その市単独の金額を示す公開資料は見つけられなかった。

愛媛県全体の約298億円という見込み額や、全国規模での約9千億円という試算はあるが、大洲市に割り当てられた分がいくらだったのかは、市の決算資料や県の資料を探した範囲では明示されていなかった。

この記事で「大洲市はいくら失った」と書けないのはそのためだ。

2つ目。合併特例債を大洲市が総額いくら発行し、何に使ったのかという一覧も確認できなかった。

合併後の主要な建設事業がどれだけ特例債で賄われたかが分かれば、「飴で何を建てたのか」という重要な部分が書けたのだが、そこまで踏み込んだ資料にたどり着けなかった。市議会の決算資料などを丁寧に追えば出てくる可能性はある。

3つ目。2009年以降に大洲市で同種の住民意識調査が行われたかどうかも分からなかった。

市川教授の調査から17年が経っている。同じ質問を今の住民にしたら、旧・大洲市エリアの回答はどう変わっているのか。

周辺部の44.7%という数字は上がっているのか、それとも「もう諦めた」という形で下がっているのか。

これは非常に知りたいところだが、比較できる新しい調査は見つけられなかった。

4つ目。今回使った住民基本台帳は、日本人と外国人の住民を合わせた数字で、国勢調査とは調査の性質が違う

実際、2025年10月1日時点の令和7年国勢調査の速報値では、大洲市の人口は37,365人、世帯数は16,797世帯で、5年前より3,210人(-7.91%)減っている[12]

同じ2025年でも、住民基本台帳の12月末値(38,198人)とは800人ほど差がある。

住んでいる実態を調べる国勢調査と、届出にもとづく住民基本台帳の違いなので、どちらかが間違っているわけではない。

今回のグラフは同一の基準で21年を並べることを優先したので、住民基本台帳に統一している。

中立に、それでも言えること

最後に、政治的な立場を取らずに、事実として言えることを整理しておきたい。

①合併は人口減少を止めなかった。市全体で21年間に13,643人、26.3%が減った。

これは合併の失敗というより、合併がもともと人口減少対策の制度ではなかったということだと思う。

国が掲げた目的は行財政基盤の強化であって、人口の維持ではなかった。

②減り方は、地域によって3倍近く違った。旧・大洲市エリアが-20.5%だったのに対し、旧・河辺村エリアは-60.5%。

この非対称そのものは合併がなくても起きた可能性が高いが、「小さな自治体を支えるための合併」という建前と照らすと、結果としては支えきれなかった、という評価にならざるを得ない。

③2009年の住民の実感は、その後の統計と一致していた。周辺部ほど「よくなかった」という回答が多かった順番と、その後16年間の人口減少の速さの順番が、きれいに重なっている。

制度の評価をするとき、住民の実感を「感情的な反発」として脇に置くのは危険だという教訓が、ここにはあると思う。

④合併と一緒に来たお金は、最初から期限つきだった。合併特例債も合併算定替も、15年で通常に戻る設計だった。

愛媛県全体で約298億円という交付税の減額見込みは、県議会が国に意見書を出すほどの規模だった。

現在の経常収支比率99.7%という数字を、合併だけのせいにするのは乱暴だが、制度が設計どおりに終わった結果の一部であることは間違いない。

では、合併しなければよかったのか。この記事はそこには踏み込まない。

合併しなかった場合の大洲市・長浜町・肱川町・河辺村がどうなっていたかは、誰にも検証できないからだ。

ただ、1つだけ確かなことがある。21年前、この4つの自治体が1つになったとき、その決定がどんな結果をもたらすかを、いま私たちは数字で見ることができる立場にいるということだ。

河辺の474人という数字を知ったうえで、この先の20年をどう考えるか。

合併の評価は、過去の採点ではなく、たぶんそっちの話なのだと思う。

出典

  1. 2005年、「新大洲市」が生まれた日。合併前最後の広報誌を読む/OZU LIFE MEMO。原資料は広報大洲(きらめき大洲21)平成17年1月号 No.590・合併前最終号 city.ozu.ehime.jp
  2. 住民基本台帳の人口世帯数/大洲市ホームページ city.ozu.ehime.jp(平成17年~令和8年の各月データを公開。本記事では各年12月31日時点のExcelファイル21本を取得し、旧市町村単位に再集計した)
  3. 「平成の合併」による市町村数の変化/総務省 soumu.go.jp、および市町村合併資料集 soumu.go.jp
  4. 愛媛県における平成の市町村合併の検証/愛媛県総務部新行政推進局市町振興課 pref.ehime.jp、市町村合併に関する情報/愛媛県 pref.ehime.jp
  5. 「平成の大合併」とは何だったのか-合併検証の課題-/今井照(福島大学行政政策学類教授)、全国町村会 zck.or.jp
  6. 20年を経た「平成の大合併」の評価と教訓/市川虎彦(松山大学教授)、現代の理論 vol.38 gendainoriron.jp(大洲市の住民意識調査は2009年7月実施、有効回答655票・回収率43.6%)
  7. 第2期大洲市まち・ひと・しごと創生総合戦略/大洲市(2020年3月策定、2025年2月改訂)。本サイトの解説記事は「2060年の大洲は3万人? 市が立てた目標の中身」
  8. 合併算定替終了後の市町の地方交付税確保を求める意見書/愛媛県議会(平成25年7月2日) pref.ehime.jp
  9. 合併市町村が直面する財政上の課題-失われる交付税9千億円、迫り来る公共施設老朽化-/日本政策投資銀行 地域政策研究センター dbj.jp
  10. 目で見て分かる市町財政(経常収支比率)/愛媛県 市町振興課(令和6年度決算) pref.ehime.jp
  11. 令和7年度予算の概要/大洲市 city.ozu.ehime.jp。本サイトの解説記事は「大洲市の当初予算479億円は「骨格予算」だった。6月に29億円が足されて508億円に」
  12. 令和7年国勢調査 地方集計結果/愛媛県 企画統計課 pref.ehime.jp、令和7年国勢調査 人口速報集計結果/総務省統計局 stat.go.jp
  13. 平成の大合併の実態と問題点/森川洋、自治総研 通巻421号(2013年11月) jichisoken.jp
  14. えひめ平成の大合併20年(連載)/愛媛新聞ONLINE ehime-np.co.jp
この記事は「大洲の自由研究」シリーズの2本目です。通常の大洲ノートより 長く、専門的な内容を含みます。シリーズ一覧はこちら