大洲の自由研究 #07
これまで書いてきた記事のあちこちに、人口の数字が断片的に登場してきた。 78,319人、52,000人、40,575人、37,638人。どれも正しいのに、 並べても1つの物語にならない。だから1980年から2026年までの47年分を集めて、 1本のグラフに繋ぎ直した。すると、思っていたのと違う結論が出てきた。
人口の数字が記事のあちこちにバラバラに出てきよったけん、1本の線につないだんよ。
1980年から2026年まで、47年分。
ピークは1985年。そこから40年で2万人が消えとった。
きっかけは、自分で書いた記事に対する違和感だった。
統計書の記事では「ピーク時78,319人が今は40,575人」と書いた[1]。
合併の記事では「合併直後は52,000人超」と書いた[2]。
人口ビジョンの記事では「2060年の目標は3万人」と書いた[3]。
どの数字も出典があって正確だ。でも、読んだ人の頭の中で1本の線にならない。
78,319人はいつの数字なのか。40,575人と37,638人はどう違うのか。その問いに、自分でもすぐ答えられなかった。
理由ははっきりしている。人口の数字には、少なくとも3つの違う出所があるからだ。
5年に1度の国勢調査。毎月更新される住民基本台帳。そして将来推計。
それぞれ調べ方も対象も違うので、同じ年でも数字がずれる。記事ごとに手近な数字を使っていると、全体として何が起きているかが見えなくなる。
そこで今回は、1980年から2026年までの47年間について、取れる限りのデータを集めて1本の時系列にした。
なぜ47年かというと、それがいま手に入る一次データで遡れる、ほぼ限界の長さだったからだ。その事情も含めて書いていく。
使ったのは、次の2つの系列だ。
5年に1度、10月1日時点で「実際にそこに住んでいる人」を数える国の調査。最も精度が高いとされる。1980年から2020年までの数字と、2025年の速報値を使用。合併前の年については、現在の大洲市の区域に組み替えた数字が公表されている。
住民票にもとづく数字で、大洲市が毎月公表している。届出ベースなので、進学や単身赴任で実際には住んでいない人も含まれる。各年12月31日時点のExcelファイルを21本ダウンロードして集計した。
2つを並べると、同じ2020年でも国勢調査40,575人に対し、住民基本台帳(2020年12月末)は42,004人と、1,429人の差が出る。
これはどちらかが間違っているのではなく、数えている対象が違うからだ。
進学で市外に出ていても住民票を残している学生などが、この差に含まれる。
グラフでは2つを別の線として描く。混ぜて1本にすると、 2005年のところで不自然な段差ができてしまうからだ。 面倒でも、出所の違う数字は分けて示すほうが誠実だと思う。
当初の計画は、47年すべてについて1年刻みのデータを集めることだった。 それはできなかった。理由を書いておきたい。
大洲市が公開している住民基本台帳の人口・世帯数のデータは、平成17年(2005年)からしかない[4]。
これは市がサボっているわけではなく、2005年1月11日に大洲市・長浜町・肱川町・河辺村が合併して「新しい大洲市」が誕生したからだ。
現在の大洲市という自治体が生まれたのが2005年なので、その市が公開する住民基本台帳のデータも、そこから始まっている。
では2004年以前はどうなるかというと、旧・大洲市、旧・長浜町、旧・肱川町、旧・河辺村それぞれの役場が記録していた数字を、4つ足し合わせる必要がある。
しかし、解散した自治体の年次データはネット上では公開されていない。
紙の統計書や県の資料には残っているはずだが、オンラインで確認できる形では見つけられなかった。
救いは、国勢調査が5年ごとに、現在の市域に組み替えた数字を出してくれていることだ。
おかげで1980年まで遡ることはできた。1年刻みではないが、47年の大きな流れは描ける。
この記事のグラフが「1980~2000年は5年刻み、2005年以降は1年刻み」という不揃いな形になっているのは、そういう事情による。
集めたデータを1枚にした。これが大洲市の47年間だ。
図1: 大洲市の人口推移(1980~2025年)。国勢調査および大洲市「住民基本台帳の人口世帯数」をもとにOZU LIFE MEMOが集計・作図
グラフを見て最初に分かるのは、この47年間の頂点が1985年だったということだ。
国勢調査の数字で57,263人。1980年の57,014人からわずかに増えており、この5年間が、大洲市の区域が人口を増やした最後の期間になる。
そこから40年後の2025年が37,365人。差し引き19,898人、率にすると34.7%が減った。
約2万人というのは、いまの旧・長浜町エリア(5,220人)と旧・肱川町エリア(1,683人)と旧・河辺村エリア(474人)を全部足してもまだ足りない規模だ。40年間で、それだけの人がいなくなった。
ちなみに、統計書に載っている「ピーク時78,319人」という数字は、この47年より前の時代のものになる[1]。
1985年に57,263人だったのだから、78,319人はもっと昔——高度経済成長期より前の時代の数字ということになる。
今回のグラフの範囲外だが、いま住んでいる人の半分以下の規模まで減っているという意味では、その数字も覚えておく価値がある。
国勢調査は5年ごとなので、5年間でどれだけ減ったかを並べると、 減り方の「ギア」が変わってきたことが見える。
| 期間 | 期首 | 期末 | 増減 | 増減率 |
|---|---|---|---|---|
| 1980→1985 | 57,014 | 57,263 | +249 | +0.4% |
| 1985→1990 | 57,263 | 55,766 | -1,497 | -2.6% |
| 1990→1995 | 55,766 | 53,850 | -1,916 | -3.4% |
| 1995→2000 | 53,850 | 52,762 | -1,088 | -2.0% |
| 2000→2005 | 52,762 | 50,786 | -1,976 | -3.7% |
| 2005→2010 | 50,786 | 47,157 | -3,629 | -7.1% |
| 2010→2015 | 47,157 | 44,086 | -3,071 | -6.5% |
| 2015→2020 | 44,086 | 40,575 | -3,511 | -8.0% |
| 2020→2025 | 40,575 | 37,365 | -3,210 | -7.9% |
1985年から2005年までの20年間は、5年ごとに1,000~2,000人という比較的ゆるやかな減り方だった。
ところが2005年を境に、5年で3,000人台という水準に跳ね上がる。そしてその水準が、20年間ずっと続いている。
2005年は合併の年だが、合併したから減ったわけではないだろう。
むしろ、1985年ごろに働き盛りだった団塊の世代が高齢期に入り、自然減(死亡が出生を上回る状態)が本格化した時期と重なっていると考えるほうが自然だ。
減少率が-2%台から-7%台へと3倍近くになったこの転換点は、大洲市の人口史のなかで最も重要な変化だと思う。
ここからは住民基本台帳の年次データを使う。 2005年から2025年までの各年、1年間で何人減ったかを並べたのが次のグラフだ。
図2: 年ごとの人口減少数。大洲市「住民基本台帳の人口世帯数」各年12月31日版をもとに独自集計
2018年の棒が周囲より明らかに高い。この年の減少は866人で、前年(606人)、翌年(694人)と比べて突出している。
西日本豪雨で肱川が氾濫し、市内で4人が亡くなり、約1,372ヘクタールが浸水したのがこの年の7月だ。市が平成30年9月の議会で示した数字である[16]。翌年6月の議会では「関連死1名を含む5名」と説明されており、あとから災害関連死が1人加わっている[17]。災害による転出が、はっきりと数字に出ている。
市自身も、第2期総合戦略の振り返りのなかで「2017年には一時的に緩やかな人口減少に転じたものの、2018年7月豪雨災害に伴う転出者数の増加や出生数の減少により、その後の人口減少が顕著になった」と記している[3]。
たしかに2017年の減少数は606人で、前後の年より小さい。
持ち直しかけたところに災害が来た、という認識は数字と一致している。
逆にいちばん減少が小さかったのは2012年の303人だ。他の年の半分以下で、この年だけ突出して減っていない。
理由を探したが、特定できる出来事や政策を見つけることはできなかった。
21年のうちこの1年だけが例外的に見えるので、集計方法の変更など技術的な要因の可能性もある。断定は避けておく。
ここからが、今回いちばん驚いた発見になる。
図2の棒グラフは「何人減ったか」を示している。これを見ると2018年が最も深刻な年に見える。
しかし人口そのものが年々小さくなっているのだから、同じ800人でも、5万人のときと4万人のときでは意味が違う。そこで減少「率」に直してみた。
| 年 | 減少数 | 前年人口 | 減少率 | その年の出来事 |
|---|---|---|---|---|
| 2006年 | -581 | 51,841 | -1.12% | 合併の翌年 |
| 2008年 | -891 | 50,712 | -1.76% | 減少数では最大 |
| 2012年 | -303 | 47,817 | -0.63% | 最も減らなかった年 |
| 2018年 | -866 | 44,266 | -1.96% | 西日本豪雨 |
| 2020年 | -702 | 42,706 | -1.64% | コロナ1年目 |
| 2021年 | -704 | 42,004 | -1.68% | コロナ2年目 |
| 2024年 | -827 | 39,867 | -2.07% | — |
| 2025年 | -842 | 39,040 | -2.16% | 21年間で最も速い |
減少率で見ると、いちばん速いのは2025年(-2.16%)だった。
次が2024年(-2.07%)。豪雨の年である2018年(-1.96%)を、直近の2年がどちらも上回っている。
これは重要な視点の転換だと思う。「2018年の豪雨で人口が減った」という物語は分かりやすいし、実際にそのとおりだ。
でも数字を率で見ると、災害という特別な出来事がなくても、いまの大洲市は当時より速いペースで人口を失っているということになる。減少数だけを見ていると、この事実は見えない。
減少の中身を分解しておきたい。人口が減る理由は2つしかない。
亡くなる人が生まれる人より多いこと(自然減)と、出ていく人が入ってくる人より多いこと(社会減)だ。
大洲市統計書(令和7年版)によると、令和6年(2024年)の1年間の内訳は次のようになる[1]。
| 区分 | 人数 | 差引 |
|---|---|---|
| 出生 | 185人 | 自然減 -526人 |
| 死亡 | 711人 | |
| 転入 | 944人 | 社会減 -301人 |
| 転出 | 1,245人 | |
| 合計 | -827人 | |
ここで、思わず声が出た瞬間があった。 この-827人という数字が、私が住民基本台帳から独自に集計した 2024年の減少数(39,867人→39,040人 = -827人)と、1人の狂いもなく一致したのだ。
統計書の人口動態と、住民基本台帳の年末人口は、別々に公表されている数字だ。
それが完全に一致したということは、今回21本のExcelファイルから機械的に抜き出した集計に、拾い間違いがなかったことの証明にもなる。
自分で組んだ集計が公式の数字と噛み合った瞬間は、この自由研究シリーズを始めていちばん気持ちのいい体験だった。
内訳の意味も読んでおきたい。減少827人のうち、自然減が526人で全体の64%、社会減が301人で36%。
つまり人口減少の3分の2は、人が出ていくからではなく、亡くなる人が生まれる人の3.8倍いるからだ。
1日あたりに直すと、出生0.51人・死亡1.95人。2日に1人生まれるペースに対して、ほぼ毎日誰かが亡くなっている計算になる。
これは政策の効き方にも関わる話だ。移住促進や雇用創出で社会減を止められたとしても、それは減少の36%にしか効かない。
残りの64%を変えるには出生数を増やすしかないが、出生数は「子どもを産む年齢の女性が何人いるか」に強く縛られる。
過去数十年の人口減少が、いまの出生数の上限を先に決めてしまっている。
総数だけでなく、中身の変化も見ておきたい。 国勢調査ベースの年齢3区分別の割合を、47年の始まりと終わり近くで比べる[5]。
図3: 年齢3区分別構成比の変化。国勢調査(1980年・2015年)をもとに作成
老年人口の割合が14.2%から33.7%へ、2.4倍になった。
同じ期間に年少人口の割合は21.4%から12.3%へ、ほぼ半減している。
老年化指数(高齢者が子どもの何倍いるかを示す指数)は66.2から274.0へ、4倍以上に跳ね上がった。
35年で、街の中身が入れ替わったと言っていい変化だ。1980年の大洲市は、子ども3人に対して高齢者2人という構成だった。
2015年には、子ども1人に対して高齢者が2.7人になっている。
総人口が3割減ったという話より、この構成比の変化のほうが、街の見え方に直結しているはずだ。
最新の統計書に載っている年齢別人口を見ると、0~4歳が1,262人に対して70~74歳が3,552人。
約2.8倍の差がある[1]。この差は、これから先の出生数の上限をあらかじめ決めてしまう数字でもある。
人口の話をするとき、必ずセットで見ておきたいのが世帯数だ。 ここには直感に反する現象が起きている。
統計書によると、人口がピーク時78,319人から40,575人へと約半分になったのに対し、世帯数は15,836世帯から17,375世帯へと、むしろ増えている[1]。
1世帯あたりの平均人員は2.3人。大家族が減り、高齢者のひとり暮らしや2人暮らしが増えた結果だ。
ただし、この増加はすでに反転している。今回集計した住民基本台帳のデータで世帯数を追うと、2012年の20,284世帯をピークに、2025年は19,252世帯まで減っている。
人口減少に遅れること数年で、世帯数も減少局面に入ったということになる。
| 年末 | 人口 | 世帯数 | 1世帯あたり |
|---|---|---|---|
| 2005年 | 51,841 | 20,109 | 2.58人 |
| 2012年 | 47,514 | 20,284 | 2.34人 |
| 2018年 | 43,400 | 19,853 | 2.19人 |
| 2025年 | 38,198 | 19,252 | 1.98人 |
1世帯あたりの人員は2005年の2.58人から、2025年には1.98人へ。
ついに2人を割った。平均すると、1つの家に2人いない、ということになる。
この数字は、行政のコスト構造にも直結する。ごみ収集も、郵便配達も、上下水道も、防災の見回りも、基本的には「世帯」や「建物」の単位で発生する仕事だからだ。
人口が26%減っても世帯数が5%しか減っていないなら、これらの業務量はほとんど減らない。
「人が減ったから行政も小さくできる」とは単純に言えない理由が、この表に表れている。
前回の財政の記事で見た経常収支比率99.7%という数字とも、ここでつながってくる[6]。
過去47年を見たので、この先も確認しておく。
| 年 | 推計人口 | 出所 |
|---|---|---|
| 2025年(実績) | 37,365人 | 令和7年国勢調査 速報値 |
| 2045年 | 25,670人 | 社人研の将来推計(平成30年推計。市の総合戦略が引用) |
| 2045年 | 24,124人 | 社人研の将来推計(令和5年推計)[15] |
| 2050年 | 21,366人 | 社人研の将来推計(令和5年推計)[15] |
| 2060年 | 19,842人 | 社人研の推計に準拠した市の記載 |
| 2060年(目標) | 30,000人 | 第2期大洲市まち・ひと・しごと創生総合戦略 |
推計どおりに進むと、2060年の大洲市は19,842人。これに対して市が掲げている目標は30,000人で、約1万人の開きがある[3]。
表に2045年が2行あるのは、推計の年次が違うからだ。25,670人は平成30年(2018年)推計の数字で、市の総合戦略がこれを引いている。社人研はその後、令和2年国勢調査をもとに令和5年(2023年)推計を出していて、そこでは2045年が24,124人、2050年が21,366人になる[15]。5年で見通しが約1,500人下がった。
2045年の推計25,670人という数字は、老年人口の割合が49.0%に達するという見通しとセットで示されている。令和5年推計ではこの割合は50.1%まで上がる[15]。2人に1人が65歳以上、という街の姿だ。
1万人の差を埋めるというのは、相当に高い目標だ。 市自身も第1期総合戦略の振り返りで、KPI全47件のうち43%が目標達成、 28%が目標値の60%未満の進捗にとどまったことを認め、 豪雨災害の影響とあわせて「目標値の設定が過大だった面もある」と率直に記している[3]。
過去47年で人口が34.7%減った。今後35年でさらに47%減るというのが推計の姿だ。
減り方は、これから加速するという予測になっている。第8章で見た「率で見るといまがいちばん速い」という事実は、この予測と整合している。
この記事の限界を書いておく。
1つ目。1980年から2004年までの1年刻みのデータは、集められなかった。
第3章に書いたとおり、大洲市が公開している住民基本台帳のデータは2005年からで、それ以前は解散した4つの自治体の記録を集める必要がある。
オンラインで確認できる範囲では見つけられなかった。図書館や県の資料館にある紙の統計書を当たれば埋められる可能性はある。
2つ目。「ピーク時78,319人」が何年の数字なのかを特定できなかった。
統計書に載っている数字だが、その年次を確認できていない。1985年に57,263人だったことから、それよりかなり前の時代であることは確実だが、1950年代なのか1960年代なのかは、この記事では断定できない。
3つ目。2012年だけ減少数が突出して小さい理由が分からなかった。
303人という数字は前後の年の半分以下で、明らかに異質だ。特定の出来事や政策を探したが、説明できる材料を見つけられなかった。集計上の要因という可能性も否定できない。
4つ目。年齢構成の最新データを、1980年と同じ形で揃えられなかった。
図3で使った年齢3区分の構成比は2015年までのもので、2020年・2025年の国勢調査にもとづく同じ形式の数字を確認できなかった。
統計書の年齢別人口(0~4歳1,262人、70~74歳3,552人など)から傾向は読めるが、3区分の比率として直接比較できる形にはなっていない。
5つ目。転出者がどこへ行っているのかは分からなかった。2024年の転出1,245人が、松山市に行ったのか、県外に出たのか、どの年代が中心なのかといった内訳を示す資料は見つけられなかった。
社会減の対策を考えるうえでは最も重要な情報のはずだが、公開されている範囲では確認できなかった。
最後に、この作業を通して分かったことをまとめる。
①この47年の頂点は1985年、57,263人だった。 2025年は37,365人なので、40年で19,898人、34.7%が減った。
②減り方のギアは2005年前後に変わった。 それまで5年で1,000~2,000人だった減少が、5年で3,000人台になり、 その水準が20年続いている。
③2018年の西日本豪雨は、確かに数字に出ている。 1年で866人という減少は、前後の年より200人以上多い。 持ち直しかけていた2017年の直後だった。
④しかし、減少率で見るといちばん速いのは2025年(-2.16%)だ。
2024年(-2.07%)と合わせ、直近2年が豪雨の年(-1.96%)を上回っている。災害がなくても、いまのほうが速く減っている。
⑤減少の3分の2は自然減で、移住政策では動かせない部分だ。 2024年の内訳は自然減526人、社会減301人。出生185人に対し死亡711人。
グラフを作り終えて感じたのは、「人口減少」という言葉が、ずいぶん均されたものだったなということだ。
47年を1本の線にすると、そこには増えていた5年間があり、ギアが変わった年があり、災害で一段落ちた年があり、そして静かに加速している現在がある。
「人口が減っている」の一言で片づけていたものの中に、これだけの起伏があった。
個人的にいちばん残ったのは、第9章で数字が一致した瞬間だった。
21本のExcelファイルから機械的に抜き出した-827人と、統計書に載っている出生・死亡・転入・転出から計算した-827人が、ぴたりと合った。
当たり前といえば当たり前なのだけれど、あの827人という数字の1つひとつに、生まれた人と亡くなった人と、引っ越してきた人と出ていった人がいる。
グラフの1ドットは、そういうものの集まりなのだと、作業しながら何度か手が止まった。
出典